254 東京村U
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── 東京四ツ谷マンション ──
[指が、取り消し線を引かれた紙を拾う。 人の減った部屋に嘆息が落ちた。]
…若いわよねぇ 結局、気に食わないからやめろ。 ってことでしょう?
(174) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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[何もない──風に揺れるカーテンがあるだけの空間に、女はにっこりと笑いかけた。]
理解される気もなかったけれど。 だってわかっちゃったら怖くないものね
でも、本当に言いたいだけいって 出て行っちゃったわねえ
よかったのかしら。客観的な証拠も……なにもぜんぶ ここに残していっちゃったけれど。 それとも信用してもらえたってことだと思う? いえばやめる。って
(175) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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[そこに影はなく、他の人間には──見えるものはないだろう。けれど、たしかに女ははっきりと其処に向けて、話しかけていた。]
ね。 いつきくん。
(176) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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ふふ。あなたがいなくなってくれて、 私、ちょっと気がぬけちゃったのかもしれないわ
だって、鈴里のおじさんもおばさんも "私をみよちゃんってことにしている"し、 気づくとしたら、きっと あなたぐらいだと思ってたから
[それでも上手にできていたでしょう?と女は──鈴里みよ子を真似た笑みで空中に笑いかけた。]
(177) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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お迎えにきてくれたのね。 ありがとう
[少し準備があるから待っててね。と、まるでなにひとつ普段と変わらない調子で女は空中に声をかけた。]
(178) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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[鞄からライターを取り出す。普段なら家にないそれは、喫茶店に忘れられていたものだ。]
取り消し線を引いたらなかったことになる。 なんてルールはないのだけれど、 まあもう伝える機会もないでしょうね
それにちゃあんと、全部 消さなきゃあ つくりものだってばれちゃうものね?
[手にしたアンケートにライターの火が燃え移り、赤く燃えあがる。それを並んだファイルの上へと笑顔のままに女はおいた。]
(179) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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(180) miseki 2016/10/10(Mon) 16時頃
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『小津さあん、もー。 何回身元確認すれば納得するんですかあ』
(181) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[現場周り2年目の後輩はもういやだ。という顔で口を大きく開けた。先だって四ツ谷のマンションで起きた失火に巻きこまれた女の身元の確認を取らせていた男──小津は、鑑識から上がってきた報告に顔を顰めた。]
『歯形が微妙にずれてんだよ。中学の検診のやつと』
『はあ、いや。でもそれもビミョウな差じゃないですか』
『他にもっとぴったり該当する記録は?』
『いやあ、うーん。骨折も該当なしですし 指紋はそもそもやけちゃってますしねえ』
[マンションで発見された遺体はすっかり表皮が融解しており、状況から「鈴里みよ子」であろうと判断をされてはいた。が、ひどく遺体が損傷していることもあって、確実にとは言えなかった。鈴里の両親とも、連絡が取れていないままだ。]
(182) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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『あんまり長く名前が発表されないものだから、 妙な噂になっちゃってますよお。 四ツ谷って土地柄と、ほら四年前のことですけど 覚えてます? 藤田サクラコチャン。 あっちは所有物からそうだと認定されましたけど、 身元調査がやっぱり難航したじゃないですか。
今じゃ四ツ谷マンションの呪いとか出回ってますよ』
[ほらほら。と資料を持ってきた後輩がケータイの画面をみせてくる。近頃、一部界隈では、事故物件だのなんだのが盛り上がっているようだった。]
『くだらねぇ』
『ええー……?』
『どうせお前も2週間もすりゃあ忘れてるんだろうよ』
(183) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[まあそうですけどお。と後輩はあっさりとその指摘を事実だとして飲み込んだ。情報化社会において、話題のうつりかわりはずっと早くなった。人面犬だとか口裂け女だとかのブームも遠い過去の話だ。]
『状況的には部屋の借主──だと思いますけど、 まあ、不気味ではありますよね。 普通失火だったら外に逃げようとするでしょう? でもそういう形跡がまるでないし。 …… 焼身自殺だったんですかね』
[推測を口にする青年に、小津はさあな。と息を吐いた。推測はできる。が、確定できるだけの情報が何もない。結局、推定をもとに話は進められていくのだろう。いいようのないもやつきを抱えたまま、男は深々と嘆息した。]
(184) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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(185) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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『これ、なぁに?』
(186) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[机の上にある手書き文字の書かれた用紙をのぞきこむと、彼女は少し恥ずかしそうにそれをこっそりと腕で隠した。]
『みよちゃんがかいたの?』
『……うん。今からちゃんと、 しょうらいのことをかんがえておくの……』
『へえ! エライね』
『……』
[そんなことはないけど。とぼそぼそと小さな声が続く。 もとより引っ込み思案なのだ。]
(187) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[彼女とは友人であり幼馴染であり、親戚のようなものだった。双方の両親ともに石見友の会でのつながりがあり、父親を早くに亡くした私は、母ともども鈴里の家にずいぶん助けられて暮らしていた。]
『やっぱりみよちゃんは、 しょうせつかになるの?』
『……うん』
[そう頷いていた彼女が、その夢をあきらめたのは、 中学を卒業するぐらいのころだった。]
(188) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[それは、ただの偶然だったのかもしれない。 あるいは、気のせいだったのかもしれない。
けれど、彼女は中学にあがる前に筆を折った。
『書いたことが本当になっている気がする』 と、
そんな嘘だか本当だかわからないことを理由に、 書くことをやめてしまった。]
(189) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[もともと彼女には、怖がりで神経質な一面があった。だから、 強迫観念ようなものに囚われてしまったのかもしれない。
でも、彼女が書くおどろおどろしい世界のファンだった私にとっては、それは彼女自身の決断よりもずっとずっとショックなことだった。
他に唯一彼女が気を許していた── あるいは、私よりもずっと頼りにしていただろう彼と離れたことも、その決断に関わっていた可能性もあったが、その点については回想を省く。]
(190) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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『最初におかしいって思ったのは、小学生のときで ウサギが、死んじゃったこと、あったでしょう?』
[彼女は発端についてそう述懐した。確かに彼女はその前に、ウサギの死からはじまるおはなしを書いていた。──それが原因で周囲から強く責められた。犯人なのではないかと。]
『あれをやったのはわたしじゃない。でも、……』
[ひとつ話を書き上げるたびに、テレビニュースで似たような猟奇殺人が起きる。山の中で行方不明になっていた白骨死体が見つかる。バラバラ殺人事件。男の子の行方不明──]
『ひとつひとつなら、偶然だって思うよ でも』
[全部が同じだったら? できすぎではないか? それは本当に偶然だろうか。確かめる手段はない。──けれど、だからこわいのだと、そう彼女は言った。]
(191) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[結局、それから私がどれだけ何を言おうと、 彼女が筆をとることはなくなってしまった。
私の中には、理不尽だ。という思いだけが溜まっていった。
どうして、 彼女が筆を折らなくてはならないのか。]
(192) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[ 書いたことが現実になるだなんて
そんな素晴らしい才能を、
どうしてふいにするのだろう? ]
(193) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[私にはまるで意味がわからなかった。
ちょっと人が死ぬぐらいなんだというのだろう。 現実の世界でも、創作の世界でなら、もっと輪をかけてあっさりと人間は死ぬというのに。
納得がいかなかった。私の大好きな、憧れた彼女は、周囲からどれだけさげすまれようとたたかれようと、自分を曲げない女の子だった。親が宗教にかかわっているということを隠してこそこそしている私とは違って、まっすぐで純粋な子だった。それなのに。
それに、彼女がもしも──本当にそんな才能を持っていたとして、世界の死者数に寄与していたとしてもほんのコンマ以下の話だ。
気に病む必要なんてないと何度も繰り返し伝えたが、彼女は私の言葉を受け入れてはくれなかった。
結局のところ、最期まで。]
(194) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[合同で鳥取方面に帰省する際にバス事故が起きたのは、 運命だった。そう思っている。
バスは炎上し、乗客のほとんどと同様に私の母は亡くなり、 彼女の両親は爆風で飛ばされ大けがをおい、私と彼女は互いに誰とも判別がつかなくなるほどの全身大やけどをする羽目になった。
"私゛の方が生き延びたのはほんの偶然で、 病院で彼女はあっさりと亡くなった。]
(195) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[隣で手術を受けていた彼女の命は、1日持たなかった。 私はといえば喉をやられ喋れる状態ではなく、数日間生死の境をさ迷う羽目になった。彼女の死亡を──あるいは、世界が変わったことを知らされたのは、私が奇跡的に集中治療室を出ることができた後の話だった。]
『ああ、よかった…… みよ子ちゃん』
[『彼女の母』が、私を彼女の名前で呼んだときだ。]
(196) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[それが逃避だったのか、すべてをわかった上で──自分の娘を、彼女を復活させようと考えたのか、どちらだったのかは定かではない。もとより私と彼女の両親は、復活信仰のある集団に属していたし『私』を身代わりに『彼女』の復活を願ったという可能性もある。
ただ「現実として」人相が判別不可能なほどに焼けただれた私のベッドつけられた名札には、彼女の名前が書かれていた。
私の名前ではなく。]
(197) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[ ── 好都合だと、そう思った。]
(198) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[彼女が筆を折ってから、既に三年近くがたっていた。彼女の新作はあれから一作も読めていない。
けれど、
私が彼女になれば 新作が作れるじゃないか。
天啓だった。そのとき胸に満ちみちた光の眩しさは、 今でもはっきりと思い出せる。 彼女は、その身を賭してまで、私に希望を与えてくれたのだと、 ひどく温かい気持ちになったことを覚えている。]
(199) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[退院してからは、周囲の望むまま私は彼女としてふるまった。 焼けた顔は幸い、彼女の両親の知り合いだった腕のいい先生が彼女の写真を参考に直してくれていたのもあり、彼女としての生活に戻ることにそれほど労はなかった。 なにしろ長く、一番近くで見続けていたのだ。
私が、彼女になるまでさほどの時間はいらなかった。]
(200) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[けれど、ひとつだけ。 重大でどうしようもない問題があった。]
(201) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[顔を、声を、仕草を、言葉遣いを、振る舞いを どれほど彼女に似せてみたところで、
わたしには、彼女の作品が書けなかった。
もっとも望んで、焦がれたその才能だけは、 真似ることができなかった。]
(202) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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[私の作品が現実になるなどということはなく、 誰の目に触れさせてみても、 かつての私のような読者はできなかった。]
(203) miseki 2016/10/10(Mon) 16時半頃
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