103 善と悪の果実
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[目の前に広がる凄惨な、それは喜劇。
鉛の弾は僕を殺した男の身体を打ち抜き。
かわりに貫かれる歌姫。
歪な笑い声は、撥条をギリギリと巻いたような。
錆びた金属がギチギチと悲鳴を上げながら泣いている。
増え続ける死。
楽園に積み上げられる抜け殻。
濡れた烏は真っ直ぐに。]
憐れですね、ミスター・ジョセフ。
易々と死んでしまうなんて。
[同じ身体になったであろう、そこへ語りかける。
大人びた声はどこか艶めきさえして。]
僕が貴方を見てるんじゃない。
貴方が僕を見ているんです。
怯えた眸で。
畏れる眸で。
[濡れた烏は罪の色。
塗り重ねた赤は、やがて黒になり
嗚呼、そうだ。
喉を何度も貫かれたのだったか。
思い出せば仮初めの浮つく身体に、赤い色が流れる。
ぱたりぱたりと雨のように。
かさりかさりと落葉のように。
喉元を押さえることもなく、ふらり、ふらり、近付いて。]
こんなふうに ころした の は あなた で、す よ?
[ニタリと笑みをはりつけ、小さな手を伸ばす。
身体をさすり、赤を塗りたくるようにして、たどり着くのは撃たれた傷痕。
ずぶりと指を。
掻き回し、弄ぶ。]
ようこそ、“楽園”へ。
僕と貴方は断ち切れぬ運命の輪の中にあるようだ。
仲良くしましょう?
―――――ずっと、ね。
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
それもこれも……、あの林檎の…。
[ふつりと壊れた笑みは止む。
鈍い銀の運命に結ばれた彼から、僕は身体を離す。
ひたひたと向かうのは、歌姫の元へ。
たどり着く頃には綺麗な幽体に姿を戻していた。]
……コリーン嬢、痛くはありませんか?
なんと声をかければいいか…僕には、わかりかねますが。
[少し困ったような表情で告げる。
視線は命を奪った傷口に。]
貴女の歌声……生きている間に、聞きたかった。
[目を微かにふせ、呟く。
そしてやがて、踵を返し部屋のそとへと向かいはじめる。]
刺青の方…貴方もどこかで見ているのですか?
僕は林檎の元に向かおうと思います。
誰があの果実を手に入れるのか…見届けなければ。
[誰かがついて来るならそれはそれで構わない。
僕はゆっくりと、歩きはじめた**]
[ぽつりぽつりと戻ってくる記憶は、生前の。
傷口の朱を舐め取り、猫のように身を擦り寄せてくる。
どうせならこんなところでなく、と部屋へ連れ込もうと腰に手を回せば、
唐突な告白。
流石に一瞬言葉を忘れ、虚を突かれた表情を不遜な笑みへと戻す。
代わりに奪ってこいとかそういう話なのだろうか。
そうだ、確かあれは。
それを問おうとした瞬間……]
[脇腹をさすって、苦い顔をする。
とんだ泥棒猫と知っていて、尚傍へ寄るのを許していたのは、
自分自身を過信しすぎていたからに違いない。]
……ケッ。
[愚か者の末路としては、中々に相応しいではないか。]
あ。
[咽喉に伸ばした硝子の刃は
女の柔らかい咽喉に触れ、そうして―――…
左胸に空く風穴。
呆気なく崩れ落ちる身体。
指に力を入れ過ぎたか、破片で傷付いた指が、絨毯に血を吸わせ。
みるみる嵩を増す血溜まりに。手が、触れる。]
……ッ! ………ッ!!!
[叫ぼうにも、ごぽ、と咽喉から競り上がる血に遮られ。
ああ。黄金の果実も、くそったれな世界も。
―――男の指から零れ 落ちた。]
[血溜まりで叫ぶ声は、誰に届く筈もない。
女主人の部屋に重なり続ける死体。
烏が残した、秘密の欠片はポケットの中に。
招待客が、果実を目にした場所は何処だった。]
畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!
[怨嗟を、叫ぶ。
もうこの声は誰に届くかも分からない。
その声がはたと留まったのは。烏の目を、前にして。]
ち、…畜生、畜生、誑かされたんだ、俺は!
あの時、声なんか掛けられなければ―――ッ!
[耳を塞いで、縮む距離に、一歩下がる。
死んでもなお怯える目。恐怖を湛えた目。]
ひ、ッぃ………!
[心臓の在った場所に、ずぐりと指が潜る。
痛みはない。痛みなど感じる筈がないのに
生前と同じ情けない声をあげ、乱暴に、その手を振り払おうとする。
二度と聞きたくなかった、その声。
咽喉を穿っても。この連鎖を断ち切ることなど出来ないようだ。]
こんな、場所が"楽園"である、筈がない!
あああああ………此処は、此処は、
[周囲を見回す。
果実に囚われた男の顔、女の顔、生きた顔、死んだ顔。
この手で殺した顔が、此処にある。此処は。]
やめろ!
[怨嗟と焦燥の叫びは、濡羽色に向けた。
生者と死者の絶対の境。届くはずも、ない。
離れる影はいくつ在ろう。
果実の行方、結末が気になれど、烏の後ろを付いて回る
勇気が男に在るはずもない。
今はまだ、この部屋に留まるひとつの*残滓*]
[少女の悲痛な叫びと涙は
目の前に迫り来る切先に気を取られた私には届かず。
引き金は呆気なく引かれた。
あの時と同じように。
私が初めて人を殺した、あの時と同じ軽さで。
立ちはだかるは、男。
私の唄を奪った。私の唄を奪おうとする。
突き付けられた切っ先は正確に咽喉を狙って。
バランスを崩して大きく傾いた視界では、銃弾の向かった先は確認できなかった。
肉を裂く感触と、焼けるような痛みがぞぶりと深く首に滑り込むのを感じる。神経に食い込む刃に、背筋が強張る。
嫌 嫌 嫌 嫌
もうやめて。痛い事をしないで!]
―――――――っ、……!
[咽喉からは、空気と、それに絡むような熱い液体が漏れ出すのみ―――]
[意識が何処にあるのか分からぬ狭間の時。
ナイフを持った少女が近付いて来る。
血に塗れた私に、いつもと変わらぬ調子で名前を呼ぶ声。
嗚呼………彼女は既に、壊れていたのだ。
まだ血の抜け切らぬ抜け殻にナイフが振り下ろされる。
何かを否定するかのように。駄々を捏ねるように。
黙した栄光はただ静かにそこに在るのみ。
抜け殻へと狂気を刻み付けた少女は、赤い手を隠そうともせず何を*思う?*]
[濡羽色から贈られた唄が聴こえる。
それは、既に質量を持たないはずの胸に幽かな温もりと郷愁を灯して、消えた。]
[狂気と怨嗟を唄う果実。
それに惹き寄せられ、飲み込まれた数多の人間。
その世界に引き込まれてしまった以上、
魂が安息を得る事は無いのだろう。
唄を失った女は、人を狂わせる唄を囁く
化物の一部に成るしか無いのだろうか。
魂は救われず、過去には戻れない。
とうとう手を伸ばすことが叶わなかった
禁断の果実を手にした者を、幸せにはさせないと。
堕ちろ、と。
仄暗い感情が芽生えていることを、
女は否定したがるだろうか。]
[壊れたようにわらう少年の声が遠く聞こえる。
再び相見えるは、生前の少年と同じ聡明な姿。
――痛いのは、何処?
既に離れた肉体は、ただ、硝子によって与えられた熱を伴う痛みと、ぞっとする感触の残滓を覚えている。
もう生きて喉を震わせることはない。
感触の無い首筋に、そっと手を伸ばす。
困ったような様子の少年に、苦笑して軽く首を振る。
体温の無いこの姿では、自分の感情を把握する事すら難しい。
少年が『生きている間に』と言えば
既にどちらも器を無くしていることに妙な感慨を覚えた。]
[答える言葉も見つけられないまま、歩き出す少年の後に続こうとする。
……少し進んでから振り向いて、自分が殺した、自分を殺した草臥れた姿を見た。
憐れに怯えて佇むその影を一瞥してから、その場を後にする。
確認しなければ。
皆の魂が捉えられている牢獄。
仮初の楽園。
原罪の象徴の下へ。]
滑稽だねぇ……
何もかもがこうして台無しになっちまうのさ。
そもそも、こうなっちまったのは誰のせい、だい?
[クク……と喉奥で笑う声。]
血を啜って、林檎は赤く熟れるのかしら。
何時になったら、満たされるのでしょうね…?
それとも、永遠に―――
それでまた、グロリア様のお部屋に新しい赤を添えるのですね……?
[優しく、囁きかけるように。]
そら。
その手も、ドレスの裾も、真っ赤だぜェ?
[駆け出す小さな背中に、ケラケラと笑った。]
畜生畜生畜生畜生畜生どもめ、!
[叫ぶような怨嗟の声は、どこから。]
悪いのは、君さ。
[怨念は林檎に手をかけるものへと嘲う。]
唆した“蛇”もかな。
[嘲う、嘲う、烏の声は囀りよりも甘く。]
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