[そうして、家に着いたのなら。未だ昇らぬ陽に僅かに安堵しつつ、慣れた玄関を潜る。
そうしてトランクに、少しばかりの荷物を詰めたのなら、沸かして置いたヤカンの音が小さく鳴った。
嗚呼、だけれど。まだ湯は注ぎはしない。ランプ一つの仄暗い部屋の中で、男は取り出した珈琲の豆をミルの中へと一掬い、入れて。
ガリ、ガリ、ガリリ。
豆を挽く心地良い音を聞きながら、ゆっくり、ゆっくりと手を回す。]
………、
[そうして、ふ、と。丁度冷めた頃の湯を注ぎながら、ある男の顔を思い出す。
彼と初めて会うたのは、果たして何処だっただろう。珈琲が嫌いだと言う、赤い頭巾の男と会うたのは。
部屋に満ちる珈琲の良い匂いを嗅ぎながら、そんな事を思い出す自分は――思いの外、この國を離れ難く思うてはいるのだろうか。]
……あぁ、美味いな。
[湯の温度は83度。長年守ってきたその温度通りに淹れられた珈琲に、男は一つ、満足げに頷いた。]
(397) 2014/10/07(Tue) 00時半頃