194 花籠遊里
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―――…朧掛かる藤を愛でるのも一つの愉悦。
朱華の丁助詰んのも悪くねぇな。
ニコラス坊やに花遊び教えてやんのも吝かじぇねぇし…、
おう、女衒も着てるのかい。そいつぁ、剛毅だ。
[廊下を渡る際に呟いたのは、シーシャの後姿を垣間見た所為。
うっそりと、悪辣なる男は今宵の華を計りに掛けて笑んだ。*]
[さあどうしたものかと男は一人首を傾げた。
脳裏に印象付くのは淡藤の君。しかしされとて朧な花の言うように、ひとつひとつ味を確かめに行っても悪くは無いと、疼く心中ただ胸中のみに抑え、ゆうるり靴先を花主の腰の据える方へ]
――いち、に、
[ひいふうみいと目にした花を指折り数え歩む中に、
軈て視界の端、廊下の先に一人の男を見付けたのなら、目を細めその様子を伺い見たことだろう]
[そうして、ふと覚える視線。
顔を起こせば、花にも見間違えるほど美しい蝶が一頭。
緩やか指先振って簡単な挨拶向けると、ニィと口角が捩じれた。]
毛並み違いが好きそうな顔をしてやがるな。
ニコラス坊やと喧嘩するなよ。
[肥えた眸の色など、見れば解かる。
密やかに飛ばす声は、喉を震わせつつも。
乱痴気騒ぎも好む男は、彼のような作法を知らない。]
[今日は様々な花を見知った…。
見かけただけでまだ会話を交わしていない花もいる。
さてどの花に留まろうか。
先ほどは亀吉に意味ありげな言葉をかけたものの、
まだ何一つ心に決めたことはない。
可憐な櫻の梢に止まるのは居心地が良さそうだ。
さっきの言葉通り亀吉に会いに行くのだっていい。
まだ言葉を交わしてない丁助の人となりを知るために
一晩を共にするのはどうだろうか。
とりあえずヘクターさんに相談してみるという手もあるか…。
そんなことを考え歩んでいれば、二人の蝶が会話を交わしている場面に出くわしただろうか。]
[花達と余暇を愉しんでいれば、新たに集う一羽の煌き。
悪事を企むように、性質の悪い顔を晒して彼も傍に呼んだ。]
相変わらず、お前さんは天性の色男だねぇ。
目移りしてるって、顔に書いてあるぜ?
[揶揄を坊やと呼んで憚らぬ彼に掛けると、視線は更にスライド。
シーシャの後頭部へと投じる眼差し。]
お前さんは如何するね。
なぁに、どうせ毎晩夜は暮れる。
お前さんも道楽者を気取るなら、俺がさっさと買っちまうぜ?
色男だなんてそんな。
目移りしてるのは確かですが。
[面と向かって軽い調子で色男だなんて言われて顔が少し熱くなった。世辞にしてもこんな率直な言葉は早々聞かない。]
そういえば丁助さんという花をご存知ですか?
ちょっと中庭で見かけて、
話してみたかったんですけど、会えずじまいで。
興味はあるんですけどね…。
[この館に何度か来ている様子のヘクターなら、丁助がどのような花か知っているだろうかと尋ねてみた。]
[花よりも濃い色を醸し出す羽音の群れ。
人の集う場所には美味い物が付き物だと足を揃えたはいいものの、どうやら味覚が異なる蝶ばかりのようで。
そもそも男はまだ廊下すら歩んでいない。掃除をしに来た訳でもあるまいに……朱色の花と言の葉を交わせた事は収穫であったが。]
……まだ決めあぐねてる所でなァ
何ならお前らが先に決めてくれ。
残った花を、両手に抱えて降りて行くのも悪くねェし。
[羽ばたきの中でも、最も線が細い音のする方に視線を流す。「丁助」という名までは聞いた事が無く黙りこくって端正な顔立ちを眺めるだけだが。]
ああ、丁助は中々の悪辣よ。
坊やも冒険家じゃねぇの、アレが欲しいかい。
[軽く口笛鳴らすように貰ったばかりの煙を燻らせた。
そうして、会話に加わるシーシャの奔放さも鑑みる事数秒]
―――…なら、大盤振る舞いでもすっかな。
愉しませておくれよ?
花も蝶も。
籠の中で、妖艶に。
くふはははは…
[花にも蝶にも届くまい。
男の高笑いは、闇に溶け *消ゆ*]
朧、朧はいますか?
……その……茶色の蝶が貴方を呼んでいるのです。
もしかしたら彼への指名なのだろうか――多分そうだと思うと年の離れた友人を探す
へえ、あんなに優しそうなのに悪辣なんですか?
それはますます興味が湧いてきました。
正直アレもコレも欲しくて困ってしまいます。
[言って、恥ずかしげに頬を掻く。
しかし強欲は良くない。
少しの間目を閉じて考えると、
この日一番心に残った花を摘むことに決めた。
その姿を見せていない時にすら会話の端々に現れて、
僕の興味を掻き立てたあの無垢な花を。]
でも今夜のところは僕、
櫻子さんと一緒にいたいですかね。
[心情を蝶の群れに吐露するとくすくすと笑った。]
そりゃそうよ、花だけ見て実が知れようかね。
次々手を付けるは、良き蝶よ。
―――櫻子を摘むなら、たんと甘く可愛がってやんな。
お前さんの蜜を鱈腹含んだ櫻なれば、俺の食指も伸びようや。
[ニコラスの声に離れゆく男が煙と共に悪趣味を吐き出して。
また、花を責める一手を一つ打つ。
大変美しく笑んだ良家の子息に、いけねぇ坊やだ。と、
彼の貪欲誉めそやすよう、甘く囁いたが最後。*]
えへへ、分かりました。
[去っていくヘクターに目を細めて了解の意を。
それにしても食指が伸びる、とは他の花たちを揶揄っていたみたいに櫻子のことを虐めるつもりなのだろうか。
…それはそれで「興味」がある。
ヘクターが去り際に耳元に囁いた言葉ににやりと笑んで、少し間を置いて自分も花主の下へと。]
[――次々と歩みを宵闇へと向けて行く彼等の背中を見、ただ男は無機質な表情を仄灯りに照らして居た。]
こんな夜から大盤振る舞いなんて、随分なことだね
[先に投げられた言葉に返すように、小さく吐息を漏らしながら派手な背を見送る。
そうして脳裏に返るは朧月夜。揺らめく月光空より降り。
ただその月を手に入れたとならば――この飢えも満たせようか]
…。あの淡藤、今夜は俺が貰う。
[ただ廊下にその声を反響させたとならば、男もまた名も知らぬ花主の元へとその姿を見せに、声を届けに行ったことだろう]*
[男が言った矢先お客は二輪刺しを所望したように思えて、買われた者達には同情の二文字を送る。
次いで、考えがあってか天然なのか……天然だとしたら末恐ろしいが、頬にかかったブロンドの奥を恥ずかしげに染める蝶の提案に頷く。]
櫻子……慎ましい風の、アイツかな?
まだ俺も買った事がねェ花だ。
土産話、期待してるよ。
[言っては、続いて廊下に消え行く二人を見送るだろう。]
[聞く前に残った一羽が指名したのは、日頃男が懇意にしている花の色。]
おうおう、了解。
今夜の花とは丁度いっしょにいる事だ。
お手手繋いで行こうかねェ。
[穏やかな気を纏う男の姿が見えなくなったならば、自分も後を追って*]
[慣れた動作で腕へ収まる隣の友人
自分も楚々とそんな風に――普段ならできるはずだがかの男の腕へと留まる瞬間僅か、体が震えた
これではまるでおぼこではないかと自分を叱咤し次の瞬間にはいつもの、顔に]
[どこか何時もの様子………とは言っても闇夜に浮かぶ藤之助の姿を見た事は無いに等しかったか……に
心配そうに藤之助を一瞬みやる。視線は合っただろうか。
瞬きをしてしまえばその色も消え失せ意識は無理やり蝶へと。]
[視線が合えば少しだけ自分の瞳に浮かんだ不安を気取られてしまったろうか。心配そうな色を宿した眼差しに、大丈夫とばかりに笑みを浮かべる
瞬き一つで蝶へと心向ける彼を見れば、自分もまた蝶へと意識を戻す]
[窓に映るは、薄明かり。
蝋燭のくゆる姿に、今暫く時を遡ることを
どうか、お許し頂ければと思います。]
── 広間での刻 ──
[亀吉さんが隣に腰掛けて下さった時のことにございます。
振り返り、微笑み返した表情は
何時ものように、微笑ましいそれではなかったのです。
書物綴る呪いの言葉に、僕は大切な人を思い出しておりました。
勉強にと開きましたのは別の頁でありました。
けれど僕はふと、問わずに居られなかったのです。]
亀吉さん。
あなたには、『特別な御方』は居られますか?
[違う異国の言葉を射干玉に移しながら。
僕は先程の言葉を心に返していたのでございます。]
‘Tis better to have loved and lost
than never to have loved at all.
[流暢に唇が、呪いの言葉を紡ぎます。
その意味は亀吉さんには判らないでしょう。
それを教えて差し上げるための、この時間に
僕は、訊かずしていられなかったのです。]
───亀吉さんは『しあわせ』ですか?
[下がる眉が寂しげに。
揺れそうな射干玉が、亀吉さんを見詰めていたのでありました。]
─広間での刻─
[流れるような闇色を揺らし振り返った先。
浮かべられた口元の弧に少しの間戸惑いを窺えたのはきっと。
広間を照らす月灯りのそば、傍らに存在する梢のみだろう
戸惑いつつも笑みを浮かべてしまったのは、その中に滲む芯に触れた気がした悦び。
それでもこの花弁に群い喰らおうとする、その陰の存在を邪推すれば表情は曇ったのだった。]
[かける言葉が見当たらず、口先は先程のやり取りを演じ。
勉強会が始まったのなら、書に刻まれた文字を幼子のように読み上げていたでしょうが。
唐突に匂いを増す射干玉の香りに、飲み込まれるように唇を動かしたのだった。]
──…特別、ですか?
[惑うまま鸚鵡のように繰り返せば、口籠らせ。
けれども何か答えなければならない。見えない何かに促されるよう、悩んだ結果、唇が紡いだのは──…]
…私には、愛が何なのか、どのようなものなのかは……分かりません。
ただ、誰かを特別に思い、思われることは…。果たして本当に幸せ、なのでしょうか。
[薄桃の唇から紡がれる謳いが呪詛であるなんて、露ほどにも知らず。
首を傾げつつも、凪いだ瞳で一輪の花を見つめて。]
──…いいえ。
だって、貴方が哀しんでおられるから。
[言い切っては、今にも零れそうに湖畔にて揺れる射干玉に。
時計の針が重なるまでの暫しの間。
そっと、きめ細かな白い手に腕を伸ばしただろう。
もし許されたのなら、重ねようと。
少しでも戸惑う素振りを感じたのならすぐに膝に下ろしたけれども。
双眸はただただ、僅か睫毛伏せつつ憂いたように、灯る。]
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