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―ルーカスの別荘前・早朝―
――は、
[しんと静まり返ったその場所。時刻は早朝。まだまだ薄暗い時間だ。漸く辿り着いたそこに、明かりは灯っていただろうか。そうであれば、安堵の一つも出来るのだけれど。
どちらにせよ、ジャニスは躊躇いながらも扉に近付くだろう。そうして何度も紙片に書かれた住所を見返す。恐らく、間違いはないと思う。けれど初めて来る地だから、どうにも確信は持てなかった。
こん、こん、と。
控えめにその扉を叩く。ベルがあったのなら、一緒にそれも押しただろう。
そうして不安げな表情のまま、扉が開かれるのを待つ。この扉を開くのが、"彼"である事を信じて。
――ああ、でも。彼に会ったら、また。泣いてしまうかも、しれない]
メモを貼った。
―自宅―
[この地へ来たからと言って、朝が変わる訳ではない。あの國で長年起きた時間に――朝陽の差し始めるその時間に目覚め、珈琲を淹れる湯を沸かす。
――嗚呼、でもあのサボテンは置いて来さまったから。その間だけは、やる事が無くなってしまいはしたけれど。
湯の温度は83度。場所も道具も変われば、冷めるまでの時間も変わる。
そうして沸かした湯に温度計を差し込み、後もう少しで83度となろう時だっただろうか――家の外から、カラコロと荷を引く音
………、……。
[思わず、窓の方へと視線を向けて。窓へと駆け寄りそうになる足を何とか止めていたのなら、家の前で止まる音。
――コクリ。聞こえた自分の息を飲む音に呆れつつ、それでも扉から視線を外す事は出来ずに。
それから、どれ程の時間が経っただろう――否、時間にするなら極々短い間だっただろう。それが何処までも長く感じてしまったのは――その胸に広がる、期待のせいに他ならない。]
……ッ、
[こん、こん。何とも控えめに鳴った扉の音
それが聞こえたのなら、男は今度こそ扉へと向かう足を止める事は出来やしなかっただろう。
――そうして、扉を開けたのなら。降り注ぐ朝陽の向こうに、焦がれに焦がれた姿が…あの夢の時のように、白に身を包んだ彼の姿が見えたのなら。
男は眩しげに目を細め、僅かに背を屈めてその腕を取り、家の中へと引き入れたのなら、身を強く、抱いただろう。
例え彼の荷物が外へと置き去りになったとしても――万一彼が、その抱擁を拒絶したとしても。]
……ようこそ、俺の巣へ。
本当に、捕らわれに来てくれたのか。
[胸に押し付けるように腕に力を込めてしまったから、もしかしたら少々息苦しさを感じさせてしまったかもしれない。
だけれど、それを気にする余裕など…今の男に、ある筈も無く。
嗚呼、彼はもしかしたら泣いてはいただろうか?しかし例え泣いていたとしても、きっと男はこの抱擁を止めはしなかった――止める事は出来なかっただろう。
彼が痛みや苦しさを訴えたのなら、初めてそれに気付いたように僅かにだけ、力を緩めたかもしれないけれど。]
これはあの夢の続きかな……また会えて、嬉しいよ。
[彼と初めて言葉を交わしたあの日と同じ、"目立つ"白いコートを纏う姿を、その腕の中へと閉じ込めながら。
嗚呼、どれ程この時を待ち焦がれただろう。
どれ程、この温もりに焦がれただろう。
さぁ、これで漸く。漸く…あの日の彼の言葉に、返す事ができる。]
あぁ…返事が遅くなってすまない。
――……愛しているよ、…ヨハン。
[ゆっくりと離したその顔は、少しばかり歪んでいたかもしれない。そんな顔は、男にしては至極珍しいものだったけれど。
そうして、両手を彼の頬へと添えたなら。もしも彼の頬が濡れていたのであれば、その雫を唇の先で掬いはしただろう。
見つめる瞳には、溢れんばかりの慕情を込めて。一度寄せた唇は、僅かに躊躇うようにその先にだけ触れる。
嗚呼、しかし。一度触れてしまったのなら、もう止めることなど出来はしない。
ほんの僅かな真を置いて、堪え切れぬように再度寄せた唇は――果たして。受け入れて…貰えただろうか。]
メモを貼った。
……きゃっ、
[言葉を交わす間も無く引かれる手
自らを抱く体に小さく息を吐き、そうして、そっとその背に手を回した。最初は柔く、けれど次第に、彼の存在を確かめる様に強く]
アナタの為なら、何だって捨てられるって言ったでしょ。
[腕に込められた力の、その息苦しさすら愛しくて。溢れた涙が彼のスーツに染みを作ったけれど、このくらいは許してもらおう。……だって、この腕を緩めて欲しくない。
此方からも強く抱きついて、すりと頭を擦り寄らせる。瞬きする度に涙が落ちて、嗚咽を堪えて歪む頬を伝った]
……もう、夢なんかじゃないわ。
夢を現実にする為に、アタシは来たのよ。
[この再会を、"夢"になんてさせるものか。
震える声で、けれど力強く言葉を吐く。夢なんていう泡沫の存在ではない。そんなもので終わらせるつもりは、端から無かったのだ、と]
…………、
アタシも……あいしてる、
[いつもの余裕そうな笑みも何もない、彼の顔
頬に触れる唇に、ゆるく目を伏せる。拭われる筈だった涙は、次から次へと零れ落ちた。
絡まる視線に、漸く目元を和らげて。彼の瞳に映る色を見れば、微かに息を詰める。
一度、二度。寄せられた唇を拒むわけもなく、けれどそれに満足に応える事も出来ないまま、触れるあたたかさを堪能する。
けれどやがて、躊躇いがちに体を離せば、おろしたての手袋で自らの顔を拭った]
……玄関先でなんて、恥ずかしいわ。
中に入れてちょうだい。
[誰が見ているわけでもないと、そうは分かっていたけれど。彼と口付けを交わすのであれば、もっと秘めやかな場所が良い。
彼の腕の中からするりと抜け出て、倒れた荷物を持ち上げる。そうして、僅かに染めた頬で彼を見上げた]
――入れてくれたら、良い物をあげる。
[首から下げた"時計"を服の上から撫でて、ジャニスはにこりと笑ってみせた。これが彼にとって"良い物"であるかどうかは、分からないけれど。……そうであってくれればいい]
[ふらふら ふらふら 爪先を揺らす。
振り子のように等間隔に。
ヒンヤリとしているようで、暖かい。
夢の中で感じる空気のような大気。
包まれているのだ―――と
朧に思った。]
ヒヤリ
[薄青い窓硝子に触れれば指先が、
凍えるほどに冷たい。
ガラスから離した指先には、冷たく白い氷の花。
指の熱に、好きとおり雫となって
消えて いく
ふと、翼を与えられる前。
彼の店で買った、あの本
]
ペラリ
[頁が捲られる音が
聞こえた気がした]
[思わず伸ばしてしまった腕は、少しばかり彼を驚かせはしてしまっただろうか。
捕らえるように回した腕の中、小さく聞こえた悲鳴
強く抱き返された腕には、堪え切れぬように息を吐き。
聞こえた彼の言葉には――あの時に告げられた言葉を再び伝えられたのなら。その吐く息すらも、震えてしまいはしたけれど。]
……あぁ、覚えているとも。
名も國も、何もかもを捨てて俺の元へと来てくれたのなら…
["自分の全ては、君へ"。
繋げようとした言葉は、震える息のせいで声にはならずに。
だけれど胸のあたりにじわりと広がる暖かさを感じたのなら、こっそりと目元を綻ばせ。嗚咽を堪えるような彼の声には、言葉には。男もまた、熱くなる目頭を堪えながら頭を寄せはしただろう。]
現実に、か。それは解っているんだが…
…何故だろうな。まだ夢心地だ。
[この地へと来る途中に、幾度この温もりを夢見た事だろう。そうしていざそれを再び手に入れたのなら――今度はそれを失うのが何とも恐ろしくて。
離さねば、と考える脳に反し、回した腕の力は強くなるばかり。
嗚呼、その上そんな愛らしい言葉を言われたのなら、今度こそ抑えが効かなくなってしまうじゃあないか。]
……また、泣かしてしまったな。
[次から次へと溢れる涙を、丁寧に唇で掬い取りながら。言葉とは裏腹に、その声はとてもとても柔らかなものだったけれど。
あの日の涙とはまた違う涙を。流れるそれは、なかなか泣けない自分の分まで流してくれているような、そんな気にすらなる。
そうして、久方ぶりにその唇へと緩く触れ――実際には、それ程の時間は経ってはいなかったけれど。
それでも十年の時を経たような錯覚を覚えたのは、それ程までに彼に焦がれていたと言うことなのだろう。]
………、あぁ、すまない。
あまりに美味そうな蝶が巣に引っ掛かってくれたものだから、つい。
[顔を拭う、別れた日とは違う真っ白な手袋。その手をやわりと取りながら、戯けたように言ってみせて。
"こんなに美味そうなご馳走が目の前にあるのなら、どんな蜘蛛だろうと味見をしたくなるもんだ"――なんて。
そう繋げてみせながら、持ち上げられた彼の荷物を取ろうと手を伸ばす。
そうして男は、荷物を取れたのであればそのまま、取れなかったのであれば苦笑を浮かべ、自ら巣へと飛び込んできたこの美しい蝶を、中へと招き入れただろう。]
しかし、荷物もあったろうに。
連絡をくれたら――あぁ、…返さなかったのは俺か。
メールは、全部届いていたよ。
……何度。電話をしようと思ったか。
[――パタン。
扉の閉まる軽い音を聞き流しつつ、服をなぞる彼の指先を見つめる。
そうして腰を引き、背を屈め。なぞられた辺りへと唇を押し付けてみたのなら、コツリと硬い感触が伝わりはしただろうか。]
それにしても…良い物?
何だろうな、メールでくれた"土産"かね。
[彼の身体へと腕を回したまま、チラリと相手の瞳を見上げて見せて。
そうして彼の言う"良い物"が待ち切れぬかのようにもう一度唇で硬い感触がした辺りを突ついてみたのなら、"良い物"は――与えて、貰えただろうか。]
中に入れてくれるなら、味見以上の事もさせてあげるわよ
[手を取り戯けた様に落とされた言葉
重たい荷物は彼に任せて、逆の腕に手を回し、すりと擦り寄る。並び歩くだけで、こんなにも幸せになれるのだから不思議だ。
傲慢で強欲な自分が、それだけで満たされるだなんて。以前のジャニスに言っても信じないだろう]
ええ、そうよ。返事のひとつも寄越さなかった癖に!
……でもね。アタシきっと、電話をもらっても、出られなかったわ。
だって、声を聞いたら泣いちゃうもの。
[ぱたん、と。扉の閉まる音には、小さく口元を緩ませる。蝶が蜘蛛の巣に招かれた事を喜ぶなんて、何ともおかしな話だ。
彼に半ば体を預ける様にして、するりと"時計"をなぞる。そしてその指先を見詰める視線に気付いたのなら、一つ。朗らかに微笑んでみせただろうか。
ジャニスの胸元……"時計"に口付ける彼の後頭部を、ゆるうく撫ぜて。そのまま、その首元に腕を回す]
そう。それの事。
でも、気に入ってもらえるかどうか、分からないわ。
[見上げる視線と、二度目の口付け
そうして、ちゃりと小さく金属が擦れ合う音をたてながら、首にかけた鎖を引き出す。そうして背中側にある留め具を外せば、てのひらに蜘蛛と蝶との時計
鎖を掴み、彼の眼前にそれを掲げる様にして。小さく小さく、首を傾げてみせる。気に入ってもらえるかしら?なんて。そんな不安を、無意識の内に滲ませながら]
蜘蛛と、蝶の時計。
多アナタが集めているのは、もっと上等な物だと思うんだけど――、
[自信無さげに言葉を落とし、彼が屈んだままでいてくれたのなら、時計から伸びる鎖をそっとその首に回しただろう。嫌がられなければ、留め具をはめてみせて。腕はそのままに、彼の瞳を覗き込む様にする。
彼の首から伸びるそれは、やっぱり、似合っているとは言い難かった]
……ごめんなさいね。時間が無くって、こんな物しか買えなかったの。
また今度、もっとマシなのをあげるから。
[ちゅ、と。小さく音をたてて額に口付け、そっと体を離す。そうして彼の反応にはあまり期待しないまま、ゆるく微笑んでみせただろうか。
……喜んでくれなかったとしても。その"時計"を外させるつもりは、毛頭無いのだけれど]
…何とも傲慢な蝶だ。
君はもう、巣の中に居ると言うのに。
[悪戯のように落とされた言葉
頬へと触れる吐息を感じながら、視線を降ろした先には僅かに浮いた踵。
――見えたそれを、どうにも可愛らしく思うてしまったと知れれば。彼は気を悪くしてしまうだろうか…それとも。]
……泣いてしまう、か。
それなら、電話をかけなかった判断は正しかった。
――……離れた場所で泣かれても、何も出来ない。
[頭の後ろに回された手に目を細めながら、離れた間の事を思い、小さな声で呟く。回された手に沿うように手のひらでなぞり、肩から腰へとゆるりと撫ぜ。
彼の内心など気付かぬままに唇を寄せたのなら、小さな小さな時を刻む音も聞こえては来ただろうか。そうしてそれに混じるように、彼の鼓動も聞こえた気がして――。]
………ほう。
[そうして彼が見せたそれ
鎖の付いた先には、小さな時計がひとつ。蜘蛛の巣を模した文字盤に囚われた白い蝶に、刻を刻みながら巣の中を伝う金の蜘蛛。
彼のその手で首へと付けられたそれは、似合っているとは言えなかったかもしれないが――先程まで彼が付けていたからか、それともその蝶と蜘蛛とに自分達を重ねたからか。仄かに伝わる金属の暖かさは、男を酷く安心させた。]
――成る程。
文字盤の巣に捕らわれた蝶が君で、針の蜘蛛が俺、か。
……く、く。中々いいセンスじゃあないか。
ほら、見てご覧。この蜘蛛は、蝶を喰らうのが待ちきれないらしい。
[頬への口付け
丁度、長針が12へと差し掛かる頃だったらしく、まるで待ち侘びるように蝶を狙う長針の蜘蛛。その様に思わず吹き出しながら、彼の瞳を覗き込む。]
――……まるで俺のようじゃあないか。
[その言葉を告げたと同じ頃に、長針がひとつ動き。文字盤の蝶を喰らう蜘蛛のように、男もまた自分の巣へと捕らわれた蝶を喰らおうと、ほんの少しだけ荒く、唇を重ねる。
…先とは違い、ここはもう巣の中だから。彼もきっと――自ら捕らわれに来た彼なら、拒絶はきっと、しないだろうと。]
気に入ったよ、ありがとう。
集めた時計も、全て置いて来たから…これが最初の時計だ。
…しかし12を過ぎたら蝶から離れなければならないとは、哀れな蜘蛛じゃあないか。
一度会えたらまた時が満ちるまで君に会えないとは…俺なら、耐えれそうに無い。
[口付けを交わしたのは、果たしてどれくらいの間だっただろう。名残り惜しげに蝶から離れる蜘蛛に視線を向けながら、男はその白い手袋に包まれた手を引く。
そうして時計の蜘蛛とは違い、未だその腕の中に蝶を捉えたままの男は、獲物を逃すまいと腕に力を込めはしただろう。]
――いっそ、時を止めてしまおうか。
["そうしたら、離れずに済むだろう?"、なんて。戯けるように言葉を投げながら、僅かに身体を離して彼の手を引き。
彼がそれに倣ってくれたのなら、二人で共にソファへと。あの夜語り明かした時のように、寄り添おうとしただろう。]
そう言えば、殴られた…と言っていたが。
口の中は、まだ痛むか?
痛むなら、氷を持って来るが。
[珈琲が染みる、と言っていたから、恐らくは顔を殴られたのだろう。痛みが無いように、そっと頬へと――今更かもしれないけれど――触れながら。
そうしてまた、痛みの具合が解らぬ男は、啄ばむように唇を寄せ。指をそっと握ったのなら――あの時血で濡れていた指は、未だ痛みを伴いはしただろうか。]
しかし情けないかな、俺は君の趣味はおろか…好物すら、知らないんだ。
……ヨハン。
君の話も、聞かせてはくれないか。
[彼へと寄り添い、軽く目を伏せながら。彼を求めるように投げてみた言葉に、彼は果たして応えてはくれるだろうか。]
[頭の中で捲られる物語のページ。
その最後の言葉が終わった後。
列車は音もなく何処かに止まった。
シン、と空気のなる音が耳の奥をこだまする。]
白鳥の停車場ですか―――?
それとも
[降りるべきなのかどうか、自分にはわからない。
そもそも最初から乗っていたわけではないのだから
この列車が今どこを通っているのかわからない。
本屋の店主ならば知っているのかもしれないけれど。
星空を走る列車を一つしか自分は知らなかった。]
南十字星を観たいです……。
[あの本の列車とこの列車が同じなのかはわからない。
けれども、もしも同じものなら。
そして、同じ道筋を通るなら。
獣になることを選んでまで
近づきたかった場所を通るのでは―――
そんな感じがした。]
……気に入ってくれたみたいで、良かったわ。
[嬉しそうに笑う相手
頬に返される口付けにぴくりと体を震わせながら、彼の指す時計へ視線を向けた。覗き込まれる瞳に気付いたなら、すぐに見つめ返しただろうけど]
るー、……ん、
[彼の名を呼ぶ形に開かれた口は、荒い口付け
角度を変え、重ねる度に熱い吐息を零す。やがて唇が離されたのなら、見せ付ける様に唇を舐めてみせた。
手を引かれたのならそれに従って、逃すまいとするその腕に寄り添う。そんなに力を込めなくても、逃げるつもりなどないのに、なんて。胸中でだけ苦笑しながら]
あら、良いわね。
そうしたらきっと、蝶も寂しくないわ。
[最後に一度、彼がそうした様に時計に口付けて、手を引かれるままソファへと導かれた。
座る彼に体を預け、腕を絡ませる。そうして緩む口元を隠しもせず、彼の方を見上げただろう]
……もう痛くないわ。
氷なんか要らない。
[頬に触れる手
実際の所、切れた口は未だに痛むのだけれど。素直にそう言って、彼が離れて行ってしまうのが嫌だった。……例え、氷を持ってくるだけの僅かな時間でも。もう、離れたくはないから。
寄せられる唇と、指先に触れる手と。その二つに目を細める。口内は兎も角、指先の痛みはとうに無くなっていた。
そうして、乞う様に投げられた言葉には、幾度か瞬く。けれどすぐにはにかむ様に微笑めば、よりいっそう彼に寄り添って]
……アタシはね、チョコレートが好き。
後は、ココアとか、ホットミルクとか。甘くて、安心出来る物が好き。
[身を乗り出し彼と向かい合ったのなら、軽く右手を上げ、一つ彼に教える度に指を折っていく。ひとつ、ふたつ。彼が教えてくれたのと同じ様に、自分の事を、少しずつでも彼には伝えてゆく。
たったこれだけで、胸が弾む様に高鳴った。たったこれだけで、満たされてしまう]
それと、やっぱり舞台は外せないわね。
アタシ、人に見られるのが好きなの。舞台に立って、役を演じて。……そこに向けられる視線が、堪らなく好き。
……そして、
[指を折るのを止め、ふと視線を彼に向ける。指先を握るその手を一度離したなら、絡める様に手を繋いだ。
そうして満足そうに口元を緩ませて、そっと。その手を自らの胸元に当て様としただろう]
――アナタの事が、すき。
きっと、これがアタシの中でいちばん大切なこと。
[押し当てたてのひらに、高鳴る鼓動は伝わるだろうか。張り裂けそうなくらいの、この気持ちは。
微かに震えてすらいる手を、ぎゅっと握り締める。少し冷えた指先でも、きっと彼よりはあたたかいんじゃないだろうか。ほんの僅かでも、この熱から。彼への想いが伝われば良いのに。
伏せた瞳を縁取る睫毛が、ふるりと震えた。それでも口元は柔く微笑んでいる。
ああ、愛しさというものは。……こんなにも、泣きだしそうなくらいに、胸を締め付けるものなのか]
……アナタにとっての、いちばんじゃなくても良いから。傍においてね。
[向かい合うのを止め、彼の肩に頭を乗せる。ゆるりと胸元から手を離して、重ねたままその手を降ろす。手袋越しの体温は、何とももどかしいものではあったけれど。柔く伝わる彼の体温が心地良くて、離す事など出来やしない
――そうして小さく小さく呟いた言葉は、彼に届いたかどうか。届かなくたって、別に構いやしないけど]
[コンコン、といつかの悪夢を思い出させるような音
そろりと窓を見ると、銀いろの―――銀河の岸のすすきとおなじいろの紙がはためいていて、声を失った。
半ば取りつかれたようにカララ、と乾いた音を立てて窓を開ける。]
君は…………
[つぶやいてから手を取って列車に招き入れると、折りたたまれる翼に、ふっと目を細めた。いつか落ちていた羽根は、彼女の物だったのかもしれない。
窓に腰掛けてつま先をゆらし、なにもいわない。本当に彼女だろうか。ジョバンニが見たカムパネルラのように、いつか消えてしまうまぼろしだろうか。]
『ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川のとおくを飛んでいったってぼくはきっとみえる。』
[音もなく列車が止まったとき、おもわずそう言った。彼女は振り向いたろうか。]
メモを貼った。
メモを貼った。
[音もなく列車が止まった。
振動も何もないのに確かに『止まった』と思ったのは
車窓から光の尾を揺らし、後ろに流れる赤や橙の灯火や
燐光の三角標が後ろに止まって見えたから。
息をすることも忘れて、列車の止まった先を見つめ
窓から停車場に降り立とうとした時、ふと後ろから聞こえた声
こくんと息を呑み、声の主を振り返り。]
時計は11時かっきりですか?
[彼の方を見つめ、そう問いかけた。]
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