88 吸血鬼の城 殲滅篇
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[浄化の光に晒された身体は、外観は崩れ落ちていないまでも燻り宿る痛みに苛まれ、ヒューの動きは関節の錆びた人形のようにぎこちない。
ドナルドが螺旋階段を降りていったのは知っているが、そのルートはとらず、南北の塔の狭間に身を投げた。]
(178) enju 2012/05/06(Sun) 11時半頃
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── 中庭 ──
[城館の端からまっすぐに落ちればそこは壁に囲まれた中庭。 自分が人としての命を終えた場所だ。
手始めに「弔い戦」の印であった額の布をほどき、その余の装備・着衣も外して、身ひとつで井戸の清水を汲み上げ、頭から浴びた。
水気を含んで色濃くなった髪は頭蓋の整った形をあらわにして、耳の後ろから肩へとつながる肉の稜線を際立たせる。 小柄ながら鍛錬をかかさぬ体躯の薄い皮膚の下でしなやかな筋肉の動きが作る起伏を、冷たい水が流れ伝った。]
(179) enju 2012/05/06(Sun) 11時半頃
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[血と汚泥を拭い去った後で、しばし思案し──闇の血で象ったフランベルジュを手にとると、その形を解いて編み直す。
身体を包む深紅の衣。 髪の色とも馴染んで具合がいい。]
(180) enju 2012/05/06(Sun) 11時半頃
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[仕上げのように首もとのホックをかけて、左右へと振った視線が、ふと、北の塔の基部に留まる。
扉が薄く開いていた。
吸い寄せられるように、中へと入る。]
(181) enju 2012/05/06(Sun) 11時半頃
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── 北の塔 1階 ──
[湖に向かって開けた窓の前に小さな机があり、筆記具が置かれている。 学習室というより、詩作にでもふけるのか似合いそうな部屋だった。 壁にはリュートと、その他に名前を知らない楽器がかかっている。
それらを見上げることに気をとられているうちに、何気なく後ろに回した手が机の上の玻璃のベルに当たり、転がす。 慌てて振り返り押さえたが、それは思いのほか澄んだ高い音を奏でた。]
(182) enju 2012/05/06(Sun) 11時半頃
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負傷兵 ヒューは、メモを貼った。
enju 2012/05/06(Sun) 11時半頃
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[玻璃の鈴より柔かに透き通る声で名を呼ばれる。
振り向けば、空虚だった城の灰色の石壁の前に、 一番、会いたかった人がいる。]
姫――
[手を伸ばしかけ、畏れ多くて止めた。 もっと見つめていたいのに、視界が滲んだ。]
(184) enju 2012/05/06(Sun) 12時半頃
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…お待ちしておりました。
[こみあげてくるものを言葉にすることができない。 ぎこちなく、クラリッサの前に膝をつくと拳を握りしめる。 俯いたまま、嗚咽を堪えた。]
(185) enju 2012/05/06(Sun) 12時半頃
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[艶やかな唇に乗せられる謝罪、その優しさは変わることなく。 慈雨のように沁み入る。
見守るしか、待つことしかできなかったクラリッサの辛さこそ如何ばかりかと思うのに、幼子のごとく頭を抱き寄せられれば、物心つかぬうちに他界した母に慰められているようで、郷里と父をあるいは姉妹を失った時にもこれほど泣きはしなかったものを、熱い涙は堰を切って溢れた。]
(188) enju 2012/05/06(Sun) 14時頃
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……、 姫がお隠れになっている間に、さまざまなことがありました。
おれも、姫の意に染まぬだろうことをしました。 それでも今、
こうして、再び姫にお目にかかれたことが 嬉しくて たまりません。
(189) enju 2012/05/06(Sun) 14時頃
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[膝を交える距離。 千々に乱れる思いに揺さぶられるも、歯を食いしばり顔を上げる。 拳で両眼をぬぐうと、膝行で一歩退き、息を整えた。]
姫が仰られたとおり──おれは多くの血を流し、奪い、 一度は騎士の自負すら捨て、 人としての倫も外れました。
けれど、あなたへの忠節は変わらず、ここにあります。
[胸へ掌を添える。]
(190) enju 2012/05/06(Sun) 14時頃
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姫――…、 おれはこれまで、真にあなたを知らずにいました。
あなたがどれほど深い闇にひとりでいたのかを。 どれほど孤独であったのかに気づけないまま、あなたを護っていると自負していました。
どうか、この先は、その闇の中でも伴することをお許しください。 あなたの傍らにあり続けることを。
(191) enju 2012/05/06(Sun) 14時頃
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[会いたかったと、ありがとうと、心に言葉の重なる歓び。 涙のあとに刻まれた笑みは、傍らに、頼りに、の望みを託されて勇気に昇華される。]
もったいないお言葉、 ありがとうございます…!
我が心はクラリッサ姫に、 我が身命は先代に捧げ、血盟騎士としての誓いを全うする所存。
[差し伸べられたたおやかな手を押し頂き、わずかな震えの後、静かに唇を落とす。]
(201) enju 2012/05/06(Sun) 15時半頃
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[そのまま白い手首をとらえたのは、騎士としては礼を失する行いである。 深紅の双眸を仰ぎ見みる姿勢のまま、ヒューは続けた。]
まことに僭越ながら… 姫にお願いがございます。
(202) enju 2012/05/06(Sun) 15時半頃
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おれが 新しい命を生きる最初の糧に──、
姫の血を いただきたい。
[踵を揃えて立ち上がれば、背の高さは逆転する。 凛とした琥珀が長い睫毛を見下ろした。]
(203) enju 2012/05/06(Sun) 15時半頃
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[クラリッサの眉をひそめさせた心の動きを、誓いの言葉のままにあろうとする実直な年若い騎士は察していない。 ヘクターの愛のように、一であり全である形もあるものを。
まだ器も経験も足りぬようであった。]
(221) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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[自分の掌におさめた白い指がわずかに強ばった瞬間には罪悪感を覚え、続く言葉に愁眉がひらく。 許すではなく、捧げると告げられた声に焦がれるほどの信頼を感じて。]
感謝 いたします。
[かしこまった礼をしたヒューは、しばし、そのまま固まる。
ヘクターはヒューの血を吸わず、その術も教えていなかった。 模範といっては先ほど金髪の剣士が襲われたのを目撃したくらいだったが、吸血鬼というよりは人狼に喰われたようなあれをクラリッサに試すことはまかり間違ってもできない。
血を飲むのだ、口を使えばいい、それはわかっているのだが──]
……は、
[喉が引き攣るのは、血への渇望ではない、きっと。]
(222) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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[不慣れな騎士を導くように、クラリッサが自ら亜麻色を流して細い首筋を晒してくれる。 祈るように閉じられた瞼が決断を促した。]
失礼をば──、
[声が震えるのがわかった。 指先を伸ばし、クラリッサの顎に触れて、わずかに顔を仰のかせる。 殺した息にも揺れる睫毛。 その距離。
あとは引き寄せられるようにゆっくりと唇を寄せれば、短い赤毛が白い肌に被った。]
(223) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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[ぷつりと、牙が柔らかい抵抗を穿つ。 滴ったのはほんのわずか、紅玉の髪飾りほどの血。
唇に含んだ雫は甘く軽く綿菓子のような味がした。 昔日の優しい思い出にも似て。]
(224) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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[不意に身体中に力と幸福感が駆け巡る。 浄化の光が刻む痛みが鎮まってゆく。
これが血の糧──吸血鬼の正餐。
愛するものの命の味。]
(225) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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姫の命をわけてくださり、ありがとうございます。
…終生、忘れません。
(226) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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[そっと触れていた指先を離し、上体をたてる。]
初めに知ったのが姫の血であったから、 おれはこの先、人の血に貪婪に狂うことは、決して、ない。
あなた以上に求めるものなどないのですから。
(227) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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飢えても浅ましからず。 あなたに相応しい騎士であらんと精進します。
[確固たる意志をこめて微笑み、誓った。]
(228) enju 2012/05/06(Sun) 18時頃
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[血を介した交歓が呼び覚ましたクラリッサの揺らめき。 潤む瞳と甘い陶酔の表情を目にして、ヒューの裡に掻き立てられたのは、まだ官能を知らぬゆえに危険のない憧憬。
あえかなその放埒の一瞬を、ただ手の届かない美しさと思った。]
(270) enju 2012/05/06(Sun) 22時頃
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[送られた優しい言葉と約束に、もう一度、クラリッサ前に膝をついて頭を垂れる。]
そのお言葉を胸に刻み、 夜の影、風の刃となって御身、お護りさせていただきます。
── 我が血と魂(ヒュー)にかけて。
(271) enju 2012/05/06(Sun) 22時頃
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[ポケットの中で何か鳴った気がして、指を差し入れる。 取り出してみれば、紅玉の髪飾りであった。]
あぁ──これを。 ドナルド・ジャンニから託されました。
[彼は「アンタが持ってるべきだ」と渡してくれたのだけれど、それを本来の持ち主に返さないという選択肢は実直な騎士にあろうはずもなく、両手を添えてクラリッサに差し出す。]
(272) enju 2012/05/06(Sun) 22時頃
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先代から、お聞き及びでしょうか。 おれとドナルドは、いまや「血の兄弟」です。
[今、彼が彷徨う苦界は知らず。 結ばれた絆を、どこか喜ばしげに知らせる。]
(273) enju 2012/05/06(Sun) 22時頃
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どうか、彼にもお言葉を賜らんことを。
…照れてフテくされるかもしれませんが、彼の居場所は──きっと、
これから、ここに。 おれたちと 共に。
(274) enju 2012/05/06(Sun) 22時頃
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[クラリッサの唇をこぼれる礼の言葉、眼差しに触れる度に灯火のともる気がする。]
はい、話はいずれ。
[ゆったりとした時のあること、それが嬉しい。 討伐隊のエリアスという名にはすぐには反応できずにいたものの、容姿を聞けば頷く。 最後に見たときは亡骸だったが、優しい魔法が施されたのだろうと。]
承知しました。 その話も──お聞かせください。
(291) enju 2012/05/06(Sun) 23時半頃
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では、参ります、姫。
[露払いするように、クラリッサの斜め前方に立って歩き出す。 これからの長い時の 第一歩を。***]
(293) enju 2012/05/06(Sun) 23時半頃
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我、世に並びなき主を得たり。
[それは騎士の口癖であったという。]
(300) enju 2012/05/07(Mon) 00時頃
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