[あの時の感覚は、『喰われる』という意識がもたらした、単なる錯覚だったのかもしれない。
それでも、ぎりぎりまで追い込まれた体がとった行動は、その記憶に委ねたもの。
魔法使いの力は、平時の者に対してさえも、何らかの作用をもたらすのではないかと。
そんなこと、できる訳がない。そんなことは分かっている。
けれど、これだけ接近してきた魔物に対し、今ヴェラが向けられる力は、一つしか残っていない。
ツェツィーリヤも、イアンも封じ込められた右手が、強く赤黒く明滅する。
多くの魂を帯びた右手が、目の前の魔物と対峙する。
供物を手放した狼の、最後に残された本当の牙>>66。
それは、多くの魂が宿った、魔法使いの原点、『右手』。
『死の淵に立つ者』に対してではなく……『生の途上にいる者』に対する、『生贄』]
(86) 2013/06/20(Thu) 20時半頃