191 忘却の箱
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[蝶は想う。
紫の花に込められた願いを。
藍の花に込められた幸せを。
白いレースが隠した色が、
――彼女の喜びと為らんことを。]
[深まる紅の香りが誘うから。
白雪の如く舞う花弁に紛れ、そっとその背に留まろう。
――見えなくていい。今は。
ただ、そっと見守りたいだけ。"彼女"の選択を。]**
─自室─
[中庭から香る夕陽色の花。
窓からひらりと舞い遊ぶ蝶から伝えられるは、一つの物語。
口吻から紡がれる旋律は、斜陽に溶け込むフードを身に纏った青年の姿を朧気ではあるけれど浮かび上がらせて。
彼が“約束”を果たそうとしてくれたこと。
そのことを刹那の間ではあるけれど、確かに花は受け取った。]
(…ああ、結局共に奏でることは叶わなかったけれど)
[こうして戯れている間は、不思議と音の世界に溺れているような、そんな心地良い感覚に花は揺れる。
それはきっと、鱗粉と共に蝶が離れてしまうその時まで。
受け取った花粉に紛れるよう奏でるのは、星の砂を掻き集めたような、夜半に似合う子守唄。
暫しの眠りと共に、新たな生を育むために。
揺蕩う中、朝の空に溶け込むように勿忘草は。
希望を宿してふわりと、小さな音を立てて揺れた。]*
─回想・夢見鳥─
[振り返った先。
見慣れた“先生”の顔に目元が強張る。
随分と花に詳しいと記憶に刻み付けていた彼のことだ。
花を無碍に扱っていれば小言の一つでも頂戴してしまうかもしれない。
なんて、失礼な在意は唇から転び出た呟きに薄れてしまうのだけど。]
……楽しいよ。
俺には、これしかもう無いから。
[部屋に乱雑に置かれた紙面。
おたまじゃくしと記号が六本線に綴られたやや草臥れた譜面に、視線を落としながら呟く。]
[日々抜け落ちていく記憶と共に、滑る指。
朝を繰り返す度に拙く惑う指に気付いてはいつつも、弾かぬ。そんな選択肢は無く。]
…弾いてると、まだ忘れずにいられる。……なんて。
[たくさんの音が奏でられる室内で、苦笑をひとつ。
問いかけに対して浮かべられた笑みは、少し迷う素振りを滲ませた後で
彩られた花びらを宿した左手を見やっては、僅かな時間、瞳を伏せた。
綻ぶ花の数だけ、花は色めき揺れているのだろうけど。
それは彼の記憶と身体を媒介にしているのだと、知っていたから。]
[だから、少しだけ言葉を選ぶように口を開かせる。
いち、にい、さん。
有した時間は3秒。顔を上げて、真っ直ぐと見つめる。]
…あるよ。
[中指を一つ、弦に触れさせて。
ピックではなく指で弾くように右手で弦を摘び音を奏で、首を傾げる。]
……せっかくだから、あんたと曲を作ってみるのもいいかもね。
音が足りないのなら、歌えばいい。
[口遊む声はどこか調子外れであるから、誤魔化すようにストラップを外しながら、隣を指差し彼を傍らへ促そうと。]
…勿論、喜んで。
[零された言葉には、瞬きを数度すれど、やがては破顔したような。
花が綻んだような笑みを向けて。
新しい旋律を紡ごうと、指を滑らせたのだっけ。]**
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『行こう!』
[笑って駆け出すクリスに促されるまま走り出す。>>56 着替えなんてどうでも良かったから、二人とも薄い格好そのままで。幸い、今は夏の終わり。日が落ちたって凍える程じゃない。
ちゃんとした靴を持ってないのに気付いた時は、はじめてちょっと困ったけれど。
名前と住所の記されたメモ、ロープ。計画していたかのように手際良く準備を進める彼女に、すこし呆気にとられてしまう。
壁、乗り越えようと思うの。 真剣にそう言われた時には、さすがに笑ってしまった。美しい金糸の髪の、妖精なんて言われた彼女は、どうやら実際、随分やんちゃらしい。]
(60) 2014/09/12(Fri) 12時頃
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──っぶ、ッはは…! すげぇな、オマエ。サイコーだよ。
[くっくっと堪え切れずに笑って、彼女が窓枠に結んだロープを手に取る。貸して、こっちの方がいい。 言いながら手際良くロープを結び直した。ああ、これは始めてじゃないんだな。ちらりと思考する。映像すら忘れていても、結び目を作る手順をちゃんと身体が覚えている。]
オレが先。下に降りたら足場になってやる。 塀もあの高さなら担けば登れんだろ。…行こう。
[滑んねえよう気ぃつけろよ、言ってロープを握り軽々と窓枠を越える。長身の青年には大した高さではない。一瞬だけ、恐怖に近い興奮。縄一本で、壁を伝って降りる。
見回しても周囲に人の気配は無い。クリスが無事に降りたなら、今度は彼女を塀の上に押し上げる作業。それを越えたら、やっと。そこは、焦がれ続けた、外の世界だ。]**
(61) 2014/09/12(Fri) 12時頃
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[塀の上に並んで腰掛け、せーの、で下に飛び降りる。 着地の瞬間、足の裏に衝撃。塞がっただけの傷に響いて、口内でぐ、と小さく呻く。 けれど、隣でクリスが此方を向く気配に、二人で顔を見合わせた。
そうっと首を巡らす。気付かれた気配も、誰かが追ってくる声もしない。成功?成功。唇の動きだけで言い合って、それから、堪え切れずにひとしきり笑った。]
クリス、クリス、こっち。 海。見に行こう。
[彼女が此方を向いたなら、急かすみたいに手を取って。 頭の中、ここに来た時の道を記憶の中から引っ張り出す。
海。丘を降って。その向こう。 歩いて行くには遠いけれど、高台だから見えるのだ。]**
(62) 2014/09/12(Fri) 14時半頃
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[歌声が、聴こえる。
草原に足を投げ出して座るクリスが、心地良さそうに唄う傍らで、青年は海を眺めて立ち尽くしていた。
『外に出たい』、『海が見たい』。この数年、何度も願ったことではあったけれど。こうもあっさりと現実になったその風景に、呆然と、見惚れていた。]
こんな、簡単な事、だったんだな……
[言って、輝く水平線から視線を上げた。目を射抜くような夏の蒼穹。中庭の切り取られた空よりも、ずっと広い。]
『こうしてると、何だか色んな事、馬鹿らしくなっちゃうね。』
[彼女の声に振り向いた。>>67 隣にどさりと腰を下ろして、ん、と伸びをする。酷く晴れがましいような、どこか心許ないような。不思議な気持ちで、頷いた。]
そうだな……、なんか、ほんと。 馬鹿みてぇだ。
[小さく笑った表情は、歳相応のそれで。 鬱屈した翳を背負い込んだ色をしていた瞳は、今日の空のように晴れていた。]
(68) 2014/09/12(Fri) 22時頃
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─回想─
[手前の椅子が小さく軋む。
見上げた先、褐色の青年を映す。]
…やってた、かも。
[不明瞭に答えてはまたすぐスープの入った皿に視線を落とす。
揺れる波紋と、花。]
まあ、今は音が鳴らないんだけど。
[弦を弾けどシャリシャリとした小さな音しか紡げぬギター。
自分はよくそれを弾いていた、筈で。]
アンプ…だっけ。備品室にあればいいけど。
……行くなら俺も行きたい。
[確かそんな名前の機材と繋げば音が拾えた筈。誘いには頷いて。
約束なんて大して信じていなかった彼は、軽い様子で一匙啜り。
“でも今度って、大抵無くなるもんだよ”そんな冗談を一つ、下手くそな笑みを添えて。
そしてようやっと目の前に腰を降ろす青年の瞳を覗き込む。]
俺はサミュエル。
…あんたは?
……もしかして、アコーディオンの人?
[湯冷めするスープなどお構いなしに問いかけたのだった。
彼の問いに青年はどのように答えたのだっけ。
朧気な記憶の中、揺蕩う意識と共に少しの間、思考する。
それは蝶が囁く前の話]*
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[そうして暫く隣り合って座っていた。 けれど、心地良いその時間は簡単に終わりを告げる。
無邪気に、そう、無邪気に笑った彼女が差し出したのは。彼女自身が手放すことを拒み続けた、『彼女自身』が実を結んだもので。>>67
金色の林檎と、その笑顔を、青年は瞼の裏に密やかに仕舞い込んだ。]
…オレはもう、じゅうぶん貰ったから。
[華奢な両手に包まれた、大切な大切な思い出。日ごと降り積もった分は、しっかりと自分の中に刻み付けた。だから、その結晶は最後まで彼女が大切に抱えていたらいいと。]
──…帰ろう、クリス。
[寂しげに笑って、また、彼女の手を引いた。]
(69) 2014/09/12(Fri) 22時半頃
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─丘の上の白い箱─
[日もとっぷりと暮れた頃。 正面玄関から帰った二人に、医師やスタッフはどう反応しただろう。
もしかしたら騒ぎになっていたかもしれないし、戻って初めて気付いたかもしれない。 スティーブン医師は、どうだろう。穏やかなその人は、窘めこそすれど、怒りはしなかったかもしれないが(だが守衛は大変ご立腹だった)。
けれど、謝罪を繰り返しながらも、きっと二人は笑っていた。
そうして、その日を境に。 青年の紅鳶色の瞳から、虚ろな影は姿を消したのだった。]*
(70) 2014/09/12(Fri) 22時半頃
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─書庫─
なァ、なに、読んでんの。
[並べられた書棚の隙間。ひっそりと佇む赤いケープの妖精じみた少女を、上から覗き込んででそろりと声を掛ける。
読書家である彼女とは、書庫で行き会うことも度々あったが。いつも挨拶程度で、そういえば大した会話をしたことがない。 並べられた本たちの中身はその大半を覚えてしまっていたから、ここの所は書庫から足も遠退いていた。
彼女は問いに答えてくれただろうか。 声が返れば、ふぅん、と短く頷く。そして、彼女の目線のだいぶうえにある棚の、一番端に並んだ一冊に指を引っ掛ける。]
オレのお勧めはコレ。
[赤い背表紙のそれを引き出して、机の端に置いた。 少女の視線がそれを追うのを確認して、青年の口許が少しだけ笑みを象る。
きっと気に入るよ。 言い残して、じゃあな、と片手を上げた。 これも誰かの“日記”だろうか。布張りの赤い表紙には、金の文字が走る。彼女の目は、連なったスペルを読み取っただろうか。]*
(71) 2014/09/12(Fri) 23時頃
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『 SNEDRONNINGEN 』
(72) 2014/09/12(Fri) 23時頃
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─食堂─
[決まった時間、いつも通り。 漂う食欲をそそる香りに、誘われた患者やスタッフが数名、行儀良く並んでいる。
ギ、と軋むドアを押して、青年はその空間に入った。列には混じらず適当な椅子に腰掛け、暫しそれを眺めやる。 声を掛けられれば素直に挨拶を返した。
やがて、人も疎らになった頃にスープの皿のみ受け取った。 席に戻り、行儀良く口に運ぶ。味を「感じる」ことが出来ないのは、忘れているというよりは脳の中を圧迫されているから、らしい。匂いは分かる。
たっぷり時間を掛けて良い匂いのする無味のスープを流し込み、トレイを持って席を立つ。 ごちそうさま。食器の返却口付近に居た、賄いの女性に声を掛けた。もう長いこと、ここで食事を作ってくれている人だ。]
……美味しかった。
[ぽつん、と落として食堂を後にする。めずらしい、と目を瞬く女性の姿だけが、後に残った。]*
(73) 2014/09/12(Fri) 23時頃
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[花になる、その一瞬前。
確かに誰かが、
「おやすみ」
そう言ってくれた気がした。]
[風船のように陽気な色をした花は、静かに過去を夢見ている。
音が消えて行くアコーディオン。
約束を果たす為に走った備品室と。
最後に交わした、歌い続けるという約束。
彼と交わした曖昧で、果たせなかった約束。
–––––––ギターの音が聞こえる。
夏の日差しを割るような、響き。
出来れば…共に……
風に花弁が舞って、彼の部屋まで飛んで、飛んで。
そっと、錆びた弦の上を撫でる。]
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─備品室─
[それから、食堂から程近い備品室へと足を向けた。 どうせ今日も管理人は居ない。少し前に腰を痛めて、最近じゃ週に2、3日しか来ないのだ。
雑然とした埃っぽい部屋の中、書庫で読んだ本に記載された工具を捜していると、床の上放置されたミシンケースと出会う。 いつか誰かがそうしたように、傍らにしゃがみ込んだ。そうと瞼を伏せると、隣に大きな誰かが座ってるみたいな気分になって。]
……『法蓮草を育てる月』、
[呟いた薄い唇は、緩やかな弧を描く。あの日、屋上で舞った、花びらと色とりどりの付箋。 コンクリートの上に残った一枚は、指で掬うと簡単に風に乗っていってしまった。 瞼の奥に焼き付いた、子供みたいだった大きな男。もう一度思い描いてみた彼の表情は、もう、怯えてはいない。]
…もっと話せば良かったな。
[次に会ったら、聞かせて。 言って、立ち上がる。ガチャリと手にした工具が鳴った。貸出受け付けの上の、飴玉をポケットに押し込んで。
歩き出した後ろでは、ドアの閉まる音。]*
(74) 2014/09/12(Fri) 23時半頃
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─中庭─
[備品室を出たその足で、中庭に向かう。
ぶらぶらと散歩をすると、中央付近の木の傍に何かが見える。 背の低い木に引っ掛けられた、見覚えのあるドレス。 紫のブーケ。 纏い付く花と、これも見覚えのある絵が、一枚。
その前で立ち止まる。 目を細めて見詰めた。視線を横に逸らすと、向かい合うみたいに設置されたベンチの傍にも、沢山の花。草の上に置かれたアコーディオンは、抱き込まれるみたいに花に埋れている。
瞼を伏せた。 毎朝聴こえたあの歌声と喧騒が、蘇ってくる。 楽器の音。はしゃぐ少女の声。何度も見せて貰った、お気に入りの絵。噛み合わない会話の応酬さえも。]
(77) 2014/09/12(Fri) 23時半頃
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──…結婚式、みたいだな。
[穏やかな笑みで。 指先でつい、とアコーディオンを撫でた。その近くに埋れた、ギターの弦を拾い上げる。 あの、屋上に始めて登った日。 鳴っていた最後の曲は、誰の為のものだろう。サーカスの独り占め。少しだけ、その『誰か』を羨ましいと思った。]
Parsley, sage, rosemary and thyme…
[弦を持って、踵を返し、小さく口ずさむ。 花を纏う青年は、もう吐息すらその香りで満たされて。]
…あと、ちょっと。
[日の当たるその場所を、後にした。]*
(78) 2014/09/12(Fri) 23時半頃
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―2F・2××号室─
[自室を通り過ぎて、角を曲がってちょっと行った先。 ひとつの部屋の前に立ち、軽いノックの音を響かせる。
コン。 コン、…コン。
特徴的なリズム。 「あいてる」、ちょうどそう返ってくる筈のタイミングて、ドアを開けた。]
…よォ。遅くなって、ごめん。
[整えられた部屋の中。そこにまだ彼は『居た』だろうか。 ベッドの傍らには、主を失くした赤いトラスト。誰かが触れたのだろうか、埃を払った跡が残る。
ベッドに腰掛け、備品室から拝借した工具を膝に置く。 ギターを持ち上げ、改めて埃を払った。ゴホ。短い咳の合間に、青年の唇から白い花が零れ落ちる。]
(79) 2014/09/12(Fri) 23時半頃
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ああ、心配すんなよ。 やったことはねえけど、やり方はちゃんとベンキョウしてきたから。 後はオマエの見様見真似、だけどな。
[書庫で読んだギターのメンテナンス方法は、実際やってみると思う程簡単では無い。 四苦八苦しながら弦を替える。きっとそれは、誰かが遣り残した事でもあるから。]
…っと。こんなモン、か。
[どうにか張り替えた弦を、爪弾いてみる。アンプの無いそれは、キュ、と掠れた音を出す。弾き方なんて知らないから、元通りに傍らに置き直してやる。]
…………また。
[また、弾いてくれよ。
声は掠れて、一人きりの部屋を彷徨う。やがて、青年は夕暮れに染まる部屋の中から、廊下の暗がりへと溶けて、消えた。]*
(80) 2014/09/12(Fri) 23時半頃
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[その日は、秋の始まりを思わせるような、酷く高く、突き抜けるような晴天だった。
屋上から、ぱらぱらと沢山の花が降る。 背の高い、痩せたその青年は、足元に積まれた幾つものドライフラワーを手に取って。 ひとつひとつ、確かめるようにしながら、それを階下の地面へと落としていった。
膨大な量のそれは、彼の自室から運ばれたもの。彼が今まで出会い、別れてきた患者たちの一部だったもの。 最後の一束を落とすと。青年は、強く吹いた風に煽られるのも気にせずに。目の前のフェンスを乗り越えた。]
(81) 2014/09/13(Sat) 00時頃
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────あー…、来ちゃったか。 そんな気はしてた、けどさ。
[開いた屋上の扉に、視線を向ける。 フェンスの向こうに立った青年は、空とコンクリートの境目ぎりぎりに足をかけていて。 網目を掴む指だけが、その身体を支えている。]
見てよ、コレ。 羽根みたいだろ。
[笑って広げた両腕は、白い花にびっしりと覆われて。首に、肩に、肩甲骨に、茎が、花弁が。纏い付いている。]
……なぁ、センセイ。覚えてる? オレが初めてここに来た日の事。仲間に置き去りにされたんだって、怖くて、心細くて、すげぇ暴れたよな、オレ。 センセイは爪立てても、もがいても、ずっと頭撫でてくれてさ…
[でも、と声が続ける。 少しだけ、滲んだ声。]
(82) 2014/09/13(Sat) 00時頃
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今朝。そん時の事、思い出そうとして。 センセイの顔が、──どうしても、思い出せなかった。それだけじゃない。 今まで、『視』たモンだけは忘れなかったのにな。…どんどん、無くなってる。
[青年は、フェンスの向こうでなおも笑う。 寂しそうに。哀しそうに。眼下の地面に降り注いだ、たくさんの花たちに視線をやって。]
忘れるのは。ずっと、嫌だった。それは、なんか、すげえ悪いことだって思ってた。 でも、クリスと一緒に外に出て、海見て。 オレはその時、初めて思ったんだ。ここに帰りたいって。終わるんなら、ここがいいって。 …何の事はねえよな。オレが、さみしかったから、
[零れた雫が、頬を伝って。白い風が、花弁と一緒に、浚っていく。 全て。すべて。]
忘れなければ、ずっと一緒だから。──手放したくなかった、だけだったんだ。みんなを。
(83) 2014/09/13(Sat) 00時頃
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[涙で滲んだ視界では、医師の表情はよく見えなかった。 でも、それでいい、と思う。それがいい。 この人が悲しむ顔は、あんまり、見たくないのだ。]
最後まで、こんなんで。ごめん。 それでもやっぱり、オレは。アイツらを忘れんのは、無理だから。──だから、今日で、『シーシャ』は終わり。
[青年は笑って、そして。 その手を離す。両足が、地面を蹴って──]
(84) 2014/09/13(Sat) 00時頃
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センセイ、────ずっと、ありがとう。
[ずっと言えなかった言葉を、口にした。]*
(88) 2014/09/13(Sat) 00時頃
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