167 あの、春の日
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――…………、
[微かに、身じろぐ。
黒髪が瞼に掛かっている、その感触がする。]
……、ん、……
[開いてはいけない。
反射的に思ったものの、一つの瞬きと共に黒眼は開かれる。
テーブルに突っ伏していたのだろう、手元には湯豆腐を掬った深皿があり]
…………ふふ。
よかったですね、本当に。間に合って……
[そう呟く自らの頬には、一滴の涙の跡**]
[そう、大好きな友達がいて]
うにゃうにゃ……
マユミちゃん…………
[ずっと友達でいてほしかった。
なのにどうして、10年もの間、一度も会わなかったんだろう。
意識はまだ半分夢の中、あと半分は―――]
[涙を拭い、顔をあげる。
辺りを見渡せば皆、思い思いの様相で眠りに落ちている。
皆が起きる前でよかったと、小さくため息を零した。]
――……すみません、注文よろしいですか?
[個室近くを通りかかった店員に声をかければ、すっかり静まり返った部屋の中を訝しげに観察される。
それでも悪いことはしていないと、彼女は動じずに]
昆布だしのお鍋と、キムチ鍋を、一つずつ。
それと人数分のおしぼりとお冷をお願いいたします。
[注文を取って去っていく店員を見送り、個室の襖を閉めた。
再びため息を落とす。
悔いていた想いを遂げたとはいえ、もうひとつ。
心の奥底に沈めた想いは――]
……、あれ、マドカさん?
[考え事からふと、意識を引き戻す。
それは彼女がみじろいだ気がしたから]
[マドカが起きる前か、それとも後か。
注文した二種類の鍋が運ばれてくる。
テーブルに突っ伏して眠っているフィリップ[[who]]の腕をそっと持ち上げて、鍋を奥スペースを確保した。
暖かな湯気が室内に立ち上る。
食堂で感じた、あの空気と同じ。
昆布だしの鍋の蓋を開ければふわりと良い香りが漂うも、だしの中で煮られたニンジンの形は]
花……では、ありませんよね。
[単調な輪切り。
あの丁寧に切られた鮮やかな花の形では、ない。]
[一人で食べる鍋。
正確には一人ではないのだけれど、部屋に響く声はない。
箸先でつかんだニンジンを口に運ぶ。]
…………、美味しくない。
[否、十分に美味しい鍋である。それは頭ではわかっていること。
しかし求めたその味ではない。
そんな我が儘は、成長した自らでは押し通すことはできない。]
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