204 Rosey Snow-蟹薔薇村
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[歌は、一度止んで
少し間をおいて、あいのうたを、歌う。
正確に、忠実に
ただ、そこに表現される感情は
先の二つの歌ほど、流暢ではない]
[甘い言葉を交わし合うなど、初めてのことだ。
勿論、優しげに触れるキスも経験をしたことはない。
命があった時の欲は全て、本能に直結していた。
それが少しずつ変容していくのは、魂が因果を逃れたということだろうか。
触れた唇に食まれたいと望むより、むず痒いような気恥ずかしさの方が勝る。
もう一度唇が触れた時には、頭の奥が痺れるような心地がした。]
――…………ニコラ。
[いつもにも増して、言葉を探す回路が上手く働かない。
むき出しにされる独占欲と抱き締める腕とを受け入れて、言葉の代わりに両手をニコラの背中に回した。
その時、彼の身体の線がまた揺らぐ。]
[背中に触れていたはずの手が、触れていない。
驚くより早くしゃくりあげる音と振動が、触れていた箇所から伝わった。]
――…………ば、
[ばか、とは初めて言われた言葉だ。
泣き出すさまと爪を立てる動作のギャップに、ディーンはゆっくりと藍鉄色の双眸を瞬かせる。
今度は片手でニコラの背中を抱き、もう片方の手で頭を撫でた。
子供をあやしたことなどないから、動作はひどくぎこちない。]
――……ニコラ。僕は、ここにいる。
[泣かないで、というのは違う気がした。すまない、と謝るのも。
結局いつもの通りに名を呼んで、ただ事実を告げて。
胸元に顔を埋めさせるように、ニコラの頭を抱き寄せる。
甘えて良い、と言葉にする代わりの動作だ。]
[あいのうた
最後の一小節を歌い上げて
全てを嘲り笑うように
くすくすと、声を漏らす。
少女のような少年の声を知る者
ひとりは、目の前の相手以外見えておらず
ひとりは、消失に耐えられたかわからない
故に
姿のない声の主を、知る者はいない]
[そして、嘲笑が途切れ
再び流れ出す歌
ファウストの一幕
私の安らぎは去った
心も重い
二度と安らぎを見いだせない
もう二度と――――
先刻の歌とはうってかわった
嘆きのうた。
心を彷徨わせる者へ
哀愁を抱える者へ
淋しさと喪失感を胸に秘めた者へ
歌は響く**]
……満たされ過ぎて消えちゃいそう……。
[ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、呟きすりより。
ちゅ、ちゅと小さな音を立てて、彼の頬へ耳へ首へキスの雨を降らす。
撫でられるのが気持ちよくて、目を細めてもっととねだり。
ぎこちない動きに、ヘタクソ、とちょっと笑った]
ずっと、いてね。そばにいてね。
[命令、と。
彼の口元で囁いて、また幼い口付けを贈る。
触れるだけの、甘い、ぎこちないキス。
抱き寄せられて、素直に甘えて。
生きてたらアザと引っ掻き傷でひどいことになってそうな背中を、そっと撫でた]
……離れたら、ひどいことするから。
[それとも、ディーンはひどいことされるのが好きかな?]
――……それは、困る……。
[言葉の示す通りの不安の現れに、ディーンはニコラの背中に回していた片手の力を強くする。
息を詰めるように言葉を途切れさせたのは、降ってくる唇がくすぐったかったからだ。
命令、と添えられるだけで、ここにいる大義名分が出来る。
縛りつけられることが何よりも心地良い、と口にすることは躊躇われた。
甘いキスも心地良い、けれど、それだけでは物足りなく感じるのも事実だ。かといって身体を繋げることも、望まれなければ難しい。]
――……ひどい、こと でも、君がくれるなら
[欲しい、と強請れば与えられるのだろうか。
ディーンはニコラの首筋に唇を寄せて、少し強めに噛みついた。
――飼い犬は、飼い主に反抗すれば叱られるものだ。
ニコラの反応を伺う双眸には、自然と期待するような色が乗った。**]
だぁって、未練なくなっちゃったもん。
[強くなる片手の力に、またぼやけていた体が元に戻る。
不安そうな声に、楽しくなっちゃってくすくす笑い。
未練なんてもうないし、この胸の中で消えられたら綺麗な最後だと思う。
セックスは今まで触れてこなかったから未知すぎて分からないし、キスはもうしたし。
強いていうならもう一度食べたいけども、それを叶えたら本当に消えそうだ。
涙のあとを残す顔で、彼の胸から顔を上げて]
だからさ、もっと一緒にいたいって。
ちゃんと思わせて。
[いま、残ってる欠片は、それしかない。
だから、と。
脅しにしては奇妙なセリフを、笑いに混じらせて口にした]
[脅しの笑みはくすぐったさに歪む。
次いで、首に走る歯形の痛み。
く、と喉の奥で嗤った]
痛いよ。
[彼の前髪をつかんで首から離し、優しく注意する。
それから、髪は離さないまんま喉仏に唇を寄せて。
唾液の甘さが残る舌で形を確かめて、ごり、と噛みついた。
歯が、ぬぷりと皮膚に食い込む]
……そんなにひどいことが好き?
[期待の宿る目に、呆れたふりをして笑って。
あんまりにも可愛いから、剥き出しにされた額にキスを贈った**]
[歌は終わらない。
こんこんと湧き出る泉のように
愛を、哀を、夢を、絶望を
勝利を、希望を、喜びを、悲しみを
正しい旋律に、溢れんばかりの情を乗せて
うたはおわらない。
永遠に]
[涙の跡が見えるのを舌先で拭いたくなるのを堪えて、ディーンはニコラを見ていた。
未練。残る未練。それを思うと、胸に刺さる棘が痛くなる心地がする。
それを上書きするのは、喉に食い込むニコラの歯の感触だ。
食いつかれる感触に息を詰めて、ディーンは眉を寄せる。
思い出すのは、彼が腹の肉を噛んだときの熱と、ぎざぎざの傷に触れたニコラの手の感触。]
――…………。
[あさましく、腹の中をぶちまけたい。
臓物だけでなく、その更に奥にあるものも、全て。
しかしそれでもし彼が満足してしまったら?
残るかけら一つなく、この手の中から消え失せてしまったら?
薄く開いた唇は物言わぬまま閉じ、ディーンは言葉の代わりに、息を吐く。視線だけは、ニコラから逸らさぬまま。]
うん、心配だね……
[ゆっくりと頷く]
シメオンは……ディーンには会わないの?
[姿は見える。
話もできるけれど、伝わってない気がしてゆるりと首をかしげ。
立ち上がり、どこかへと向かう姿を見送った]
[どこからか歌が聞こえるけれど、それよりは。
聞きなれたフランシスの子守唄が聞きたくて。
フランシスたちの傍に戻ったときには、フィリップも弔いを済ませていたようだ。
フランシスがフィリップへと歌うのを聞きながら、
安らいだ表情で、瞳を閉じる**]
[歌は、かわらない。
まるで天上の調べ
透き通るように
それでいて柔らかに
深みと奥行きのある声音は
トレイルだけが奏でる事の出来るもの
地を這う有象無象のたてる騒音も
ここには無い
次元の違う世界に、トレイルは存在する。
故に、姿を見る事が出来るのは
同じ世界を知るものだけ。
声は響く。
全てに平等にまたたく
天上の星の輝きのように]
[花弁がきらきら砕けて。
そのまんま全部砕けちゃってもいいってくらいの自暴自棄。
きっと来世はもっといい子に生まれ変わって幸せな月の国で愛されて暮らすんだって。
だから君らもさっさと殺して殺されてしまえって
嗤って、あてつけまじりに抉った目玉。
それでもそのあてつけよりも
ただ会いたいって思いが上回ったから。
幸せだって思いたい君に愛されたいって
粘土味の欠片をかき集めて
こぼれるものをせき止めて。
固めた欠片で君に会いに来た。ただそれだけ]
怖い顔。
[ざり、と。
ざらつく舌でディーンの額を舐めて、眉間に寄った皺をなぞる。
見つめてくる両目は、卵に閉じ込めたものよりもずっとずっと綺麗。
奥でくすぶる強請る色、それに目を細めて。
あんまりにも幸せだから、このまんま残った欠片も全部全部あっちに返そうかと思うし
きっとそうできたら、とびっきり幸せなまんま消えられるのに]
……捨てイヌみたい。
[可愛い、可哀そうな目をしてみる彼へ、ちょっと困って笑った]
[歯に残る、噛みついた感触。
口にするとそのまんま夢の世界に飛び込んでいきそうな、快感に近いおいしさ。
クリームを食べているような柔らかな肉の記憶を思い、唇を舐める。
それでも、彼が置いて行かれる子供みたいな顔をするから。
彼を残していけないと、そう思ってしまう。
彼の口をなぞって、笑いながら舌を人差し指と親指で摘まんだ]
自分は置いてったくせに。ずるいなあ。
[彼の返事を邪魔しながら、彼を批判して。
指を離すと、よしよしと頭を撫でてあげた]
[誰もいらない
何もいらない
種を繋ぐ手段も
曇りつつあるシノワズリも
この声さえあれば。
それでいて、悲しみの響きにのせる
本物のように、郷愁混じった色は]
[誰彼問わず涙を誘う
万一
その歌を
聞くものが居ればの話]
……捨てイヌ、じゃない。僕は、
[捨てイヌなら、拾うのは誰でも良い。
幸せにしてくれるなら、誰にでも尾を振ってついていくことが出来る。
それとは違う、とディーンは緩く首を横に振った。
それから、そのまま続けそうになった言葉に羞恥を覚えて、先を飲み込んだ。
どうせ消えてしまうならばもう一度、肉を食い破られたい。
ちりちりと身を炙るような願いのまま、離れていくニコラの唇を見つめる。しかし、もう食べられてしまって、彼を一人にするわけにはいかない。
置いていかない、と、約束したのだ。]
…………ごめん、なさい。
[舌を抓む指が離れてぽろりと口にしたのは、普段の堅苦しい口調よりも幾らか砕けたそれだった。
胸の棘を深く抉るような、寂しげな歌声が聞こえる。
舌の上に、まだニコラの皮膚の感触が残っている。
ディーンはごくりと唾を飲み込んで、頭を撫でる手を掴む。
離れたばかりの人差し指の先を咥え、指の腹を舌で舐めて、ほんの僅かに噛みつく。
目頭が熱い。
残るひとかけらさえ消えてしまって、それでも彼と共にいられるのだろうか。ずっと前に聞いたことのある歌声が、不安を煽り立てる。]
――…………。
[ニコラの人差し指を離して、ディーンはニコラの両肩を掴む。
ぐっと後ろに押し倒すようにして、自分より大きな身体の上に馬乗りになった。
貧弱な身体は、跳ねのけようと思えば容易に出来るだろう。
ディーンはニコラの顔をじっと見下ろす。
それから、自分がされたように、しかし傷つけないように加減をして、ニコラの喉に噛みつく。
柔く噛んで、離して、再びニコラの顔を見下ろした時。
ディーンの頬に、目から溢れた透明な雫が伝い落ちた。
戸惑いがちに、大きく息を吐く。
苦しい。]
[バーナバスが、ノックスの名前を出す。
それに対するフランシスたちの反応にゆるりと瞬き]
……フランシスたちに危険がなければいいけど。
[ニコラやトレイルを失ったノックスがどう動くのかなんてわからず。
喪失の痛みを抱えているであろうノックスを思う。
けれど、嘆いている彼はみたくはないから、居間に向かうことはせず。
彼もまた、どこかで幸せになれればいいのに、と思う]
[醜いものは捨て去った
汚いものは、置いてきた
美しいものだけに囲まれて
光の中で、美麗な音を奏でる]
[音はいつしか、Requiemに変わっていた**]
[舌を出してこちらを見上げる彼は、どう見ても捨てイヌなのに捨てイヌじゃないらしい。
零れた唾液を指と舌の隙間に絡ませながら、ふうん?と首を傾ぐ。
赤い舌を、離して。
銀の糸の切れたとき、聴こえたのは子供みたいな謝罪の言葉だった。]
……怒ってるわけじゃないよ。
[嘘です。
でも本当です。
けど、言いたいのは。
僕が置いていったらそんな顔するくせに、自分は置いてったのは、ずるいなあ。
って、それだけ]
[手が取られて。
瞬きを、ひとつ、ふたつする間に感じたのは、口内の空気と舌の柔らかさ。
後、固いエナメル質に挟まれる感触]
わ、わ……っ
[キョトンとしていれば後ろに押し倒されて上に乗られて。
押し退けるまでもなく、煙のように抜け出すこともできたのだけども。
彼の見下ろす目が、あんまり苦しそうだったからやめておいた]
ん……
[首に当たる、犬歯。
歯形も残さない捕食は、一度、食らいついただけ。
ゆる、と離れる体の代わりに、ぽたりと雨垂れが落ちてきた]
なんで泣くの?
[手を伸ばして、濡れた頬を親指で擦って。小首を傾ぎ、問いかける]
……僕たちは、死んで、もうすぐこの姿も無くなって、
――……そうしたら、君を見失う気がして 怖くなった。
[庇護すべき者の手を一方的に離して、庇護されるべき子供を愛して、罪を犯させたにも関わらず、失うことを恐れてしまう。
手の中に何一つ残らずともおかしくはないはずなのに、それを思うだけで消えてしまいたくなる。
言葉にし難い、形のない不安を煽る歌声はテンポと曲調を変えて、今もなお続いている。]
僕は、全部取り上げられても、 おかしくない
そのぐらいのことを したんだ。
――……なのに、僕は今、幸せだ。
[望むものを与えられていることが、怖い。
許されていることが怖い。
瞬きの度にこぼれそうになるものを押し留めて、目の端を手の甲で擦る。]
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