191 忘却の箱
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[穏やかな旋律と共に揺れるのは、空っぽになった服の左袖。 サナトリウム内に蔓延る恐ろしい病が、男の左腕と『 』を奪った。
( Tell her to make me a cambric shirt,Parsley, sage, rosemary and thyme…)
『 』。
『 Somewhere over the rainbow Way up high. There's a land that I heard of Once in a lullaby…』
頭の中を流れる誰かの歌。 僕の歌はどれだっけ。]
(57) 2014/09/10(Wed) 17時頃
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[また最初から弾き直そうとする。 音はだんだん、ゆっくりと時を刻むようになって、遂に、その音を止めた。 無性に身体が怠くなる。壁に背中を押し当てた。 手に力が入らなくなればアコーディオンが床に叩きつけられる、音。 瞼が重い。 ズルズルと背中を擦らせて、ベンチの上に上半身を横たえた。] (備品室……行かなきゃ…)
[最後にそれだけ思って、男は微睡む。 長かった一日を、唐突に終える。]
(58) 2014/09/10(Wed) 17時頃
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夢を見ていた。
僕は病院の白いベッドに座っている。 左腕が無くなってすぐの事だったかな。
サーカス団の" "が僕の所に見舞いに来た。 切り取ってしまった分の記憶を埋め合わせようとしてくれたんだって。 彼は僕の一番の" "で、僕の経歴も当時の僕自身より遥かに知っていた。
楽しいお喋りの時間が終わったのは、僕に家族はいるかという質問をした時。
(59) 2014/09/10(Wed) 17時頃
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『……いるよ』
『まだ生きてますか?』 『もちろん』
『どこで?』 『………』
『どうして家族からの連絡が無いんですか』 『………』
『講演の途中からの記憶しかない。それよりも以前、僕は何をしていたの。』 『すまない、–––––…』
(60) 2014/09/10(Wed) 17時頃
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[顔がくり抜かれているみたいで、表情はよく見えなかったけれど、その声は酷く辛そうだった。 ごめん、困らせてしまったね。 責めるつもりは無かったんだ。 ごめんよ…ごめん……
この後も何事か話した気がしたけれど、夢の全ては、一面の夕日に覆われて消えていった。]
(61) 2014/09/10(Wed) 17時頃
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―朝―
[明るい日差しが瞼の裏を突き刺す。 ギュッと眉を顰めて、ぼやける視界で無機質なリノリウムの床を捉えた。 起き上がれば、ベンチで一夜を過ごした身体の節々が鳴いた。
うんと伸びをすれば、床に放られるような形で置いてある楽器に両手を伸ばそうと……ああ、そういえば]
左腕……ないんだった。
[右手と足を使って膝の上に楽器を乗せる。
そこで感じる違和感。]
(そもそも、僕に腕はあったっけ? じゃあどうやって楽器を弾いていたんだろう。 そもそも、どうして……)
[左腕が繋がっていた部分を右手で撫でる。]
(62) 2014/09/10(Wed) 17時半頃
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(僕は歌を歌っていたんだっけ。)
[ガサリ。 肌ではない感触。 大きな文字で名前が書かれたシャツを捲ると、
そこには朱色の大輪が左の上半身を覆っていた。*]
(63) 2014/09/10(Wed) 17時半頃
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-夜半-
[夕食もそこそこに、男はカルテを書き続けていた。 いつも病の進行は唐突で、だからいつも――あらゆる瞬間を書き連ねないと。
妄執的にも思える時間。
たまに己は壊れかけているのでは、と思う。 失われゆく記憶を哀しむのはほんの一握りで、大半はそのうちに哀しいという心すら忘れ。]
――――。
[進みすぎた思考はふいに集中を途切れさせた。 小さくため息をつき、首を回す。 コーヒーのポットを手に取り―――]
(64) 2014/09/10(Wed) 19時頃
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……空か。
[そう言えば朝からずっと注ぎ足すのを忘れていた。 食堂にコーヒーを入れに行かなければ。
立ち上がり、ふと外を見ればすでに日は暮れていた。]
(65) 2014/09/10(Wed) 19時頃
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[夜の廊下は音がまるで吸い込まれたかのように静かだ。
ぼんやりと歩けば、角を誰かが曲がったように見えて。>>27]
――ズリエル?
[大きな影は、確かにそのように見えた。が、その歩き方は朝の彼とは違い。
カルテに挟んであった言葉>>34がちらりとうすら黒い風のように心をよぎった。]
(66) 2014/09/10(Wed) 19時頃
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[食堂で、ポットにコーヒーを注ぎ、ついでに1杯その場で飲みながら、中庭を眺める。
月の光は中庭の花たちを照らし、青白く見守る。
照らされる紫のブーケの真ん中には、蒼い花。どこまでも深い蒼の―――]
――――!
[ぼんやりと眺めていた男は、一つの事柄に思い当り、カップを置いて外へ飛び出す。]
君、は―――
[物言わぬ花は、少しだけ風に揺れる。 少しだけ、紫のブーケが揺れる。
きっと、彼は。]
(67) 2014/09/10(Wed) 19時半頃
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[立ち尽くす男の背を、青白い光はそっと照らしていた。]**
(68) 2014/09/10(Wed) 19時半頃
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―食堂―
[部屋を後にした彼女は、食堂へと向かう。 大切な者の様に、ポラロイドカメラをその首に下げて、軽い足取りで。 何故、そのカメラを首に下げているのか、彼女はイマイチ思い出せない。 けれど、昨日の自分が首にかけていたことは覚えていたので、そのままかけてきたのだった。]
…後でお部屋、掃除しなきゃなぁ。
[花びらに埋もれたベッドを思い、やや重たいためいきをつく。]
先生の所行って… 後…中庭…
[はたと足が止まる。 誰かと約束をした。 あの、中庭で。 …誰と?
ふるりと震えた胸を抑えるように、食堂へと再度足を進める。]
(69) 2014/09/10(Wed) 20時頃
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おはよーおばちゃん。 今日も、良い匂い!
[元気な挨拶をすれば、それは常通りの彼女であっただろう。 おばちゃんに渡される食事を、笑顔で受け取って。]
今日は、トマトのスープなんだね。 いつも、凄いなぁ、おばちゃん。
[トマトが嫌いな人は、いたかしらん。 コルクボードのメモを思い返しながら、そんなことがちらりと脳裏をよぎった。]
(70) 2014/09/10(Wed) 20時頃
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[いくらか人の減った食堂。 しかし食事の時間が決まっているわけではないから、本当に“減った”のかまでは、分からない。 それも、先生に聞いてみた方がいいのかなぁ。
そんなことを、思いながら。 食事をしている時に、話しかける人があったろうか。 あれば、何らかの言葉を交わし、あわよくば食事を共にとろうと誘ったことだろう。
やがて、食事を終えると食堂を後にする。]
まず、先生のところかなぁ。
[呟きながら、廊下を歩いていて。 その姿>>63を見つけた。]
(71) 2014/09/10(Wed) 20時頃
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―廊下―
あ、おはよーヤニくん!
[ベンチに腰かけた彼に気付けば、ぱたぱたと駆け寄って。 笑顔で挨拶をひとつ。]
もうご飯行った? 今日はね、トマトのスープがとってもおいしかったのー!
[そんなことを上げたテンションで並べて、ふと。 何となく元気のない様子に気付く。]
ヤニくん? どうしたの、大丈夫?
[ベンチに座る彼の前、そっと膝を着けば、その顔を覗き込むようにして、尋ねた。 具合が悪そうであれば、先生の所へ行くか、尋ねたことだろう。 大丈夫、と言われてしまったならば、そう?としか言えないが。]
(72) 2014/09/10(Wed) 20時頃
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あ。これ。
[床に落ちたアコーディオンに気付くと、そちらへとしゃがみこむ。]
昨日の夜のは、ヤニくんだったんだねぇ。 私、あの音、好きなんだぁ。
[そっと伸ばした手が、その楽器に触れることは許されるだろうか。 止められれば無理に触ることはしないが、止められなければそっとその表面を撫でながら。]
なんか、すっごい落ち着くんだよねぇ。 ありがとね、いつも。
[彼は誰かの為に、と演奏しているわけではないかもしれないけれど。 何だろう、何というか、慰めのようなその曲に、いつかの心が救われたこともまた、確かだから。 彼女はそう言って、淡く笑った。 楽器に触れることが許されるなら、そっとそれを持ち上げて、彼の残った手が届く場所に置くことだろう。]
(73) 2014/09/10(Wed) 20時頃
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––回想・深夜/壁の付箋の知っている事––
[寝台の上に坐して、溜め込んでいた付箋達を眺める。
ショベルカー。無人の工事現場、夕焼けの中輝いてた。 眼下の魚。堀で大きなフナが数匹泳いでいた事だろう。 隠元豆。ガラスの器の中、冷蔵庫の上から2段目にあった。 法蓮草を育てる月。いつか見た夢。月の裏には畑がある。 扉に見える。四角い照明。寝転がると天井の扉に見えた。 餃子屋。潰れた家の後に新しく出来た小さな店だった。 青い卵。公園の遊具の事だった。隠れてた記憶がある。 ピエロ。舞台の上で何処からともなく赤い光の粒を出す。 ピンク色の石の近く、踏みつぶされた犬の糞があった。
分析しようにも、繋ぎ結ぼうにも。 あまりにも小さ過ぎるものばかり。 シュルレアリストの連想ゲームか夢分析の様なこれらには 『意味も何も無い』のだろう。
偶然残っていただけのこと。]
(74) 2014/09/10(Wed) 20時頃
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[記憶という礎を失い、崩れ去った自我。 辛うじて残った記憶から、必死で自我を「編み直した」。 だけどその何処か退行し、朦朧とした自我は、 三十と数年で形成した己の外貌と全く噛み合ず。 寧ろ粗暴を、暴力を、否定するような。
僕はどこから来たの。 僕はは何者なの。 僕はどこへ行くの。
過去の己を認めたくなくて。 何者なのかも曖昧で。 次の日に振り返れば、踏みしめた道は無くなっている。
しかしそれも、昨日までのこと。 自分がどこに行くのかが、わかったから。 だから、寝台の上に立つ。壁の色の群れに指をかける。 執着し続ける事は––––『忘れた』。
どこかから、アコーディオンの音は聞こえただろうか…その主が誰かも、知らないままなのだけれど。*]
(75) 2014/09/10(Wed) 20時半頃
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─朝─
[浅い眠りから目が覚める。 シーツの中でもぞもぞと身体を動かすと、触れる肌に違和感。がばり、と身をを起こす。 落ちた毛布から露出した上体は素肌で。その腕から首筋、肩甲骨まで、びっしりと細かな花が密集していた。]
………は、…
[けれど、小さく笑った青年の手は、柔らかくそれを撫でるだけ。抜け落ちたものだけを払い取ると、ベッドを降りる。椅子の背凭れに引っ掛かったシャツを羽織り、雑にボタンを掛けると扉に向かった。]
(みず…水、のみたい)
[ふらつく足で廊下に出る。一度だけ、部屋の中を振り返った。 さかさかと、部屋を埋め尽くす乾いた花たちが揺れる。]
………行ってくる。
[誰に、とも何処へ、とも無く呟いて。後ろ手に扉を閉めた。]*
(76) 2014/09/10(Wed) 21時頃
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[彼女の快活な挨拶>>72は、しっかりと廊下に響いていた。 いつもなら朝から綺麗なブロンドを揺らす彼女に出会えた事を笑顔と、手を振る動作で伝えただろうが、今朝だけは俯いて、思考は、朱色の……
顔を覗き込まれて、ようやく青色の瞳と目が合った。]
ああ……大丈夫さ…大丈夫…
[そう答えれば、彼女>>73はそれ以上追求をしなかっただろう。
しゃがみ込んで楽器を撫でながら、 淡い笑みを浮かべながら、 ………あの音が好き、と言ってくれる。 それが、どんなに、]
(77) 2014/09/10(Wed) 21時頃
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…………クリス、ありがとう。 汚れちゃうよ、床に座っちゃ…ダメ、だ……
[手の届く所に置かれたアコーディオンを撫でる。 その掌を相手に差し伸べようとしたけれど、それは男の目元を隠すように覆うだけだった。
この感覚には、覚えがある。 だって、これで二回目だから。]
………ごめんよ、クリス……ごめん…
[囁くように、何度も謝った。 それだけしか出来ないような気がして。]
(78) 2014/09/10(Wed) 21時頃
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―過去の何処か―
[瞼が重くて、目が開けられない。 それに頭が割れそうだ。 此処はどこだろう。上か下か、もしかしてうつ伏せなのか。 それすらもわからない。 ガヤガヤと聞こえるのは、ラッパとピエロの愉快な笑い声じゃなくて、金属音と大勢の足音だった。
輸血。侵食。時間。怒鳴り声。花が、もう。 鋏。ダメだ小さい。腕。腕を。
…………腕を?
目が覚めた時には、左腕が無かった。]
(79) 2014/09/10(Wed) 21時頃
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[もう、楽器が弾けないという事実はショックだった。 それでも何とかやっていけそうな気がしたのは、多分、まだ記憶が残っていたから。
記憶、が残って、いればの話。
縋ろうとした『 』は、左腕と一緒に切り取られていった。 それまで確かに、『 』が心の支えであったことは覚えている。 それが、何であるかが分からない。
手紙は男の家族を語る。 過ごした日々の喧騒や、観客の拍手の音を聴く。
では伽藍堂な腕の中に、男が持っているものは何物か? 何物もありはしないさ。
どこを探しても、かつてのお前はいないよ。
そうして男は、一回目の死を 受け入れた。*]
(80) 2014/09/10(Wed) 21時頃
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––廊下––
[ぶつかった女性の左腕。 蔓の刺は、手首に深く食い込んだ様な痕がみられて。]
…痛みま、すか…それは。
[そう聞く男の首元では砂色の花弁が完全に開く。 根元には血が滲んでいたかもしれないが、 男は全く気付いていないかの様な様子で 身を屈めて、少しぎょろりとした眼球で覗き込む。]
………痛い、なら。診察室ですよ? そこは、まだひとなんです…よね。だったら。
[気を遣う様に枯れた声は述べる。 幾許かの会話はそこでうまれただろうか。]
(81) 2014/09/10(Wed) 21時頃
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––屋上––
[赤い刺の彼女と別れたか。 それとも暫く一緒に歩いただろうか…上階に向かう階段を。
朝の日差しが、白い箱を更に白く、白く、眩しく照らす。 開いた扉の金属音に、数羽の雀が飛び去った。 ガラス容器を抱えたまま、男は外側の、そして中庭側のフェンスを交互に見ながら歩みを進め–––––くらり、とよろめいた拍子。腕の中から瓶が1つ、滑り落ちる。]
……あ。
[悲鳴を上げて割れた瓶。その中身は朱色の花弁。 量はさほど多くない。花弁も小さく、劣化も少ない。 アッと言う間に風に巻き上げられ、 ばらばらになって飛ばされて行く。
それを見届けるなり–––男は腕の中の残ったガラス容器を、
床に、叩き付けた。]
(82) 2014/09/10(Wed) 21時半頃
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[高く、鋭く、軽やかな音が響き渡り。 透明の檻が砕け散る。 その中から解放された、赤。水色。黄色。青。 様々な花弁が穏やかな風に舞い上げられ。 金網をすり抜けて。飛び越して。絡み取られて。鳥の様に飛んで行く。 中庭の方にもきっと花弁は舞い落ちて行っただろう。けれど彼等の行き先には、さほど、興味は無い。]
……卑怯、なのかな。 でも、ごめんなさい。
………もう、誰を傷つけたのかも覚えてないんだ。
[少し悲壮な顔をして。手提げの中のガラスの器も、落とし割る。黄緑。白。薄紫…同じ様に、消えて行く。
謝罪の先は、嘗て傷つけたかもしれない誰か。 割れたガラスが、巌の様な手の古傷を覆う花々を映し出す。 まるでひとごろしみたいな、歪んだ歯並びを映し出す。
一番大きなメスシリンダー。 濁った色の溜まったそれだけは、割らないまま。]
(83) 2014/09/10(Wed) 21時半頃
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[共用の水道で水を飲むついでに、ばしゃばしゃと頭からも被る。 拭くものも何も持っていないけれど、顔だけ袖で拭ってふるふると頭を振った。 残った雫が流れ落ちるのには構わず、ふうと深い息をする。 酷く身体が怠いのは、ここのところマトモに食事をしていないからだろうか。]
……、上……
[振り返って、廊下の奥を睨む。 そこにあるのは上階への階段。足を引き摺るみたいに歩き出した。 今なら。今日なら。いける、だろうか。
覚束ない足取りで、階段を。上に、上に。 焦点の定まらないような目で、────ガシャン。
何か硬質の物が砕け散る破壊音に。>>82 はっとして、青年は急ぎ足で上階を目指した。]
(84) 2014/09/10(Wed) 22時頃
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―回想―
[彼の手の豆に気が付いたのは、朝食で向かいの席に座った時]
君は…何か楽器をやってるの?
[彼はサナトリウムの中は音がよく響く言っていたけれど、彼のギターの音は聴こえなかった。 どうやらアンプが無いらしい。]
備品室は、この病棟にあるのかな。 そこに今度探しに行こう。
[そう言えば、彼は何と答えただろう。下手くそな笑みでも浮かべただろうか。 結局その後、アンプは見つからなかったのだけれど。*]
(85) 2014/09/10(Wed) 22時頃
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―回想―
[廊下で後ろ姿を見かけたのは、「可笑しいかい?」と微笑みかけてきた彼。 今度は男が背中から話し掛ける。]
やぁ、紫のブーケはどうなったんだい?
[一度話し掛けたが、最後。 何処までも研究、記録、ああすれば、こうすれば。 ちょっと話し掛けるんじゃなかったなぁ、なんて。 でも、伝えなきゃいけないことがあったんだ。]
備品室でウエディングドレスを見たんだけど、あれって君の? ……う、ううん、早くブーケが見たいとかではなくて…うん…うん…
[あのドレスは、ブーケは、どうなったのだろう。*]
(86) 2014/09/10(Wed) 22時頃
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