103 善と悪の果実
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…――ね。
皆、愚かなものですよ。
[小さな手を果実へと伸ばす。]
大広間からなくなってなんて、なかったんだ。
すぐ傍に落ちていたのに気付かない。
目先の欲に駆られて、足元なんて見ようとしないんだから。
[そう、歌姫へと声をかけた。
一度掴んだことがあるはずの果実は、擦り抜けて掴めない。]
…………僕も含めて、ですがね。
[少年の行く先は、大広間。
この宴の始まりに、果実があった部屋。]
全く…この部屋を探していた人もいたでしょうに、
こんな簡単な場所に隠していたなんて…
[血眼になって屋敷内を探していた人 ― 自分も含まれるか ― を考えて、苦笑する。]
嗚呼、目の前にあるのに
触れる事すら許されないのですね…
またこの細工を見る事が出来たのは、幸運なのかしら…
[否、囚われているだけだと思っているのだけれど。]
―過去―
[歌い手として評価されるようになって、暫く経った頃。
急に、一切の活動を行わなくなった時期があった。
行方不明になったのだ。
名前に傷が付かぬようにする為か
ひっそりと回された捜索の手にも引っ掛からなかった。
その時女は、今は顔さえ思い出せぬ好事家に監禁されていた。
金糸雀のように、籠に閉じ込められ、所有者の為だけに歌うことを強いられた。
女は歌を愛していたが、自鳴琴のように螺子を巻かれた時にだけ忠実に歌う事を強要される状態に、心をすり減らしていった。
所有者を満足させられなければ暴力を加えられた。
『歌えない』とでも言おうものなら、本当に二度と歌えなくなるぞと
水の中に頭を押し込まれたり、首を絞められたりもした。
そうして死なないために渋々歌うと、最初の内、所有者は上手く躾を出来たと言わんばかりに満足そうにしていた。]
[そんな日々が続いていたのだが。
とうとう限界が来た。
無理矢理歌わせられた、その歌声が素晴らしいものに成るはずも無く。
何時しか、歌は苦痛となり、本当に歌えなくなってしまった。
弱った金糸雀を、壊さんばかりに痛めつける所有者。
『――この程度か。つまらないな。』
ある日、すっかり飽きた所有者は、とうとう金糸雀を撃ち殺してしまおうと考えた。
にやにやと拳銃を片手に近寄ってきて、髪を掴まれ、喉元に銃口を突き付けられる。
抵抗などしないと思って油断していたのだろう。
本物の死を目前にした女は、ただ生き延びたい一心で所有者に反撃する事に成功した。
襲い掛かり、拳銃を奪って、心臓に押し当てて、撃った。
破裂音が響いて、血が飛び、やがて所有者は動かなくなった。]
[逃げなければ―――
煙を吐く拳銃を放り出して、慌てて飛び出した牢獄。
そうして逃げる為に走る廊下で、夕闇に出会ったのだ。
彼が何故その屋敷に居たのかは知らない。
どういう繋がりがあるのかも分からない。
ただ、夕闇は、真っ青な顔をしているであろう女を見て、わらったのだ。
きっと銃声は聞こえていただろう。
殺人を犯した事を、見透かされたに違いない。
恐怖が全身を支配した。
どうしたら良いか分からなくて、只管逃げた。
連れ去られた時には気を失っていたため
ここが何処かすら分からなかったが、少しでも遠くへと必死に走り続けた。]
[やっとの事で逃げ切ると、その後
女は、無意識の内に記憶に蓋をした。
歌えない理由
受けた暴力の数々
そして、自分が人間を殺したという事
これらを忘れてしまったがために、結局原因は分からないまま、歌声も戻って来なかった。
夕闇と何処で会ったのかを思い出せなかったのは他でも無い。
封印した記憶の欠片だったからだ。
彼が、私の事を殺人者だと知っているはずだから―――
人を殺して思い出した。
これが、女が歌を忘れた経緯。]
灯台下暗し、ってやつですかね。
[触れられない林檎。
それはまるで“禁断”の果実。]
貴女は…。
……いや、野暮なことは聞くものじゃありませんね。
[この林檎を手に入れたかったのか。
手に入れて、どうするつもりだったのか。
そんな言葉が頭を掠めた。
口に出すことはなく、過去を回想する横顔を見つめる。]
……………。
[それでもひとつ。]
歌を、聴かせてもらえませんか?
[そんな我侭を言う事は許されるだろうか。]
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