162 絶望と後悔と懺悔と
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[皮膚に冷たい牙の立つ感触。 痛みはまだ感じない。
吸われているのかもわからないほど 触れる力は弱い。]
せめて、傷が閉じるくらいちゃんと──…。
[逸る気持ちが手に籠もる。 吸血鬼特有の発達した犬歯が深く入るように 明之進の頭をぐっと引き寄せた。]
(15) 2014/02/22(Sat) 20時半頃
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[始祖の血を啜れば ホリーの血を吸った真弓のように 瞬時に傷を塞ぐことも可能かもしれない。]
誰か、始祖の躰をここに…… リッキィ──
[もう笑んではいない顔がリカルダを見て ジャニスの先にある始祖の骸を眼で指し示す。]
(16) 2014/02/22(Sat) 21時頃
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[苦しげな声と咳に、我に返って力を抜いた。]
ごめ、ん ……ほんとに、大丈夫?
[覗き込む。 朝日が射してルビーのように鮮やかに輝く紅に 生気は戻って来ていただろうか。
今にも絶えそうだった呼吸が 少しでも穏やかなものに変われば、 絢矢は小さく吐息を漏らす。
険しかった眼差しも安堵に弛み──]
(25) 2014/02/22(Sat) 22時半頃
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[突如、絢矢の腕は支える力を失って 血溜りに、明之進の上半身が落ちる。]
ッ、 ────…?
(26) 2014/02/22(Sat) 22時半頃
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[瞬間──]
────────ッッ!!
[声にならない叫びに喉を引き攣らせ 躰をくの字に折って蹲る。]
あ゛、
[引き裂かれ、骨の覗いた手首を抱え 額を血溜りに押し付けて、 肩を、背を、小刻みに痙攣させた。]
(27) 2014/02/22(Sat) 22時半頃
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[痛い。 痛い。 痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い───]
(28) 2014/02/22(Sat) 22時半頃
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[全身余すところなく痛みと灼熱感に支配され 知らず手首の断面を抉るように突き立てた爪さえ 痛みとは感じない。
色彩の抜け落ちた貌の中、 青褪めた唇が、空気を求めて一度だけはくりと喘いだ。]
(29) 2014/02/22(Sat) 22時半頃
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[口角を伝うものは血混じりの唾液か。
正気を手放したくなる痛みに 耐えて、
──耐えて。]
(───あ)
[それは不意に、 始まった時と同じように、唐突に消失した。]
(34) 2014/02/22(Sat) 23時頃
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[痛みのほか、 全ての意味がバラバラに引き裂かれて 形を成さなかった世界に 少年と少女の声が戻って来る。
夜通し燃えて、 爆ぜた火の粉の音さえ聞こえ]
──リッキィ?
[自分を抱き締める腕のあることに気がついて 菫色を瞬く。]
(40) 2014/02/22(Sat) 23時半頃
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[明之進はジャニスに嘆願している。
始祖を貫いた後、 妖気と呼んで差し支えないほどに 纏う気配の変容した危うい佇まいの後姿。
危ないからやめて、と。
ボクは大丈夫──。そう言おうとして]
(あれ?)
[自分の発した声が、聞こえなかった。]
(41) 2014/02/22(Sat) 23時半頃
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[もう痛くないから。
もう一度声に出してみる。
舌は動くし、声帯は震えて、 ちゃんと言葉になっているとを示している。]
(なのに──)
[音だけが欠け落ちて。
聞こえたと思った二人の声も、 燃え上がる炎も、また遠ざかる。]
(44) 2014/02/22(Sat) 23時半頃
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(────あぁ)
[そうか。
『疑問』は『納得』へと、 ストン、と着地する。]
(45) 2014/02/22(Sat) 23時半頃
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リッキィ、泣いてる?
[間近にある顔を見上げて話し掛ける。
やっぱり発した声は聞こえないけれど、 自分を抱えるリカルダの顔が、 とても辛そうに見えたから。
冷たくて、震える手を伸ばして、 昔に戻ったようにリカルダの上腕を撫でた。]
(48) 2014/02/23(Sun) 00時頃
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[二人とは違う方角から影が伸びて、 朝日を遮った。
リカルダを撫でる手はそのままに 影が生まれる地点に眼を向ける。]
─────……、ぃ
[舌が氷のように冷たくて 今度はうまく言葉に出来なかっただろうと思う。]
(51) 2014/02/23(Sun) 00時頃
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[困ったように眉を下げ、 せめて昔のように笑ってみせようと、 唇の端を上げてみたけれど、 実際は、不自然に頬が引き攣っただけだった。]
ぁけ、ちゃ、
[仕方なく、笑うのは諦めて。
傍に、霧のように在るだろう少年の名を呼び リカルダを撫でていた左手で小太刀を抜いた。]
(53) 2014/02/23(Sun) 00時頃
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[きっと、明之進にはまだ足りない。
逃げてゆけるようになるだけの、 人の生き血が。]
み、ンな、
[霞み始めた視界に、 順に家族の姿を映し──]
──、
[生きて──。
唇の動きだけで、そう告げて]
(54) 2014/02/23(Sun) 00時頃
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[震える手で、
『常磐』の──漆黒の薄刃を、 躊躇いなく己の頸へと滑らせた。]
(56) 2014/02/23(Sun) 00時頃
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[既に多くを失いすぎて満足な圧を持たない動脈から、 それでも鼓動に合わせて 鮮血の細い川がぴゅうっと噴き出す。
急速に体温が喪われてゆき、 感じるのは寒さ。
ぼんやりと霞む意識の中で、 伸ばした腕を明之進の首に絡ませ、 次第に吹き上げる脈動さえ弱くなる首筋へと 引き寄せたのが最後の記憶。]
(58) 2014/02/23(Sun) 00時半頃
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[何かを口にしようと、微かに唇が震え──]
(59) 2014/02/23(Sun) 00時半頃
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[────それきり、絢矢の心臓は鼓動を止めた。**]
(60) 2014/02/23(Sun) 00時半頃
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─ 夢 ─
[冷たい手。 冷たい微笑。
しみ一つない母の手に手を添えられて 振り下ろす黒塗りの刃が母の膚を抉る。
細い頚から吹き上がる血は冬の小川のように冷たいのに 血潮に濡れて紅く染まった幼い少女は、
──菖蒲は、引き攣るように笑っていた。]
(64) 2014/02/23(Sun) 00時半頃
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─ 夢の現 ─
『おまえが男だったら良かったのに』
[鮮やかな紅の引かれた唇に美しい弧を描き、 手入れの行き届いた指で童女の髪を撫でながら、 母は口癖のように言っていた。
傍にいるのに、 笑っていてくれるのに、 童女はいつも突き放されるような寂しさを感じていた。]
『おまえを産んだから、 わたしはもう仔を産めないのよ──あや』
[嫋やかな手と玲瓏な声音で 日毎甘やかな毒を塗り重ねられた童女は 知らぬ間に、母の言葉に縛られる。]
(68) 2014/02/23(Sun) 01時頃
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[童女にとって、 母の悲哀のすべてが己のせいで 母の悲憤のすべても己のせいだった。
何よりの罪は──、
母の産道を傷付けて、産まれ落ちたこと。]
(69) 2014/02/23(Sun) 01時頃
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[父は母より忌憚なく接してくれたけれど 常磐緑の瞳がいつもどこか遠くを見ていたことも 敏感な幼子は感じ取っていた。
視線の先に、見たことのない『兄』を見て、 羨望と憧憬を、小さな胸いっぱいに詰める日々。]
(70) 2014/02/23(Sun) 01時頃
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[父も母も己の元から去ってゆき、 一人残された広い屋敷で 己の罪を悔いて泣き暮らす日々の終わりに──。
母のくれた紅の海は、 菖蒲が罪に染まる前──、 母の胎内で浸かっていた羊水のような匂いがした。*]
(72) 2014/02/23(Sun) 01時半頃
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─ 孤児院の記憶 ─
[あや、という音しか持たなかった少女に 零瑠がくれたのは 意味と──切欠、だった。
それまで、少し距離のあった年上の少女と 共通の、仲間めいた意識が芽生え たくさん遊び、たくさんはしゃぎまわった。
キラキラと煌めいた、在りし日の記憶。]
(77) 2014/02/23(Sun) 02時頃
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[少女は零瑠が教える習字の時間が 割と、いや、とても好きだった。
字を書くことよりも 字を覚えることよりも 零瑠が書いた字を眺めている方が楽しかった。
四歳より以前の記憶のない少女には その理由はわからなかったけれど 零瑠が書いた字を見ると、 時々泣きそうなくらい切なくて──
とても、嬉しくなる時があった。]
(78) 2014/02/23(Sun) 02時頃
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[桜の花びらの舞い込む部屋の 障子に残された拙い画──。
兄の、『常磐』に描かれた少女は 誰からも愛される 純真で無垢な笑みを浮かべていた。
孤児院で、保護された少女が目を覚まし 霧のような少年の手をとって 最初に浮かべた赤子のような幼い笑みは 障子に描かれた『菖蒲』とよく似ていた──。*]
(80) 2014/02/23(Sun) 02時頃
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─ 『常磐』 ─
[繰り返し囁かれる母の毒は 童女から、純真さと笑顔を徐々に奪う。 いつしか童女の笑みは 遠慮がちでぎこちないものへと変化して行った。
父の膝で兄に会いたいと希(こいねが)った、 真っ直ぐに笑うことをしなくなった童女は 父が兄を探しにゆくと言った時、 確かな期待と喜びで父を送り出した。
父と、父の先妻の愛を受けた『兄』なら。
望まれなかった『妹』にも 溢れるような愛情をくれるかもしれない──、と。]
(84) 2014/02/23(Sun) 03時頃
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[屋敷の外の危険を承知で 童女が抱いた利己的な願いは父を殺め、 『常磐』の名をも、少女は罪で穢した。
漆黒の二刀が兄──『常磐』は最後に、 罪の根幹たる少女の命を断ち、贖いを終えた。
最期に絢矢が、 ──菖蒲が口にしようとしたのは、
父と、母と、 結局会うことのなかった兄への───**]
(85) 2014/02/23(Sun) 03時頃
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