人狼議事


182 【身内】白粉花の村

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視点:


――病院/廊下――

[皺ひとつない白衣を揺らして歩く廊下は、以前の隔離病棟とは打って変わって、賑わいで溢れている。
喧騒と言う程ではないその音に、けれど眼鏡の下で僅かに眉を寄せて。幅の広い廊下に、規則正しく靴音を響かせた。

ほんの数時間前までいた場所は、今となっては懐かしくさえ思える。
無理やり押しやられたあの病棟を離れられるのは喜ぶべきことの筈だったのに、そうするにはあまりに、それ以外の杞憂が多すぎたのだ。


――奇病の研究が進んでいるという話自体は、薄らと耳にしていた。数人の患者がここを離れたことも、なかなか仕事をしようとしないもう一人のいけ好かない同僚が、自分より先に転勤したことも。
それでもまさか、こんなに早いとは思っていなかった、から。

鞄から書類を取り出しつつ、その間に挟まれた封筒に目をやる。
院長からの通知と、それからもうひとつ。
光の溢れる廊下に、木々の揺れる窓の外に、かつての場所を思い出して、ふと。

自然と思考は過去へと飛ばされる。
けして懐古などではないと、そう言い訳をしながら。]


――回想・隔離病棟/自室前――

[扉の下に挟まれた手紙に気が付いたのは、その日の仕事を全て終えて、自室へ戻ろうとした時だった。
取り上げて裏を返せば、そこには馴染んだ患者の名が書かれている。]

オスカー、……ああ、コープラさん。

[部屋に戻る前、掲示板で名前を確認した彼は、今はもうこの場所を発ってしまった後だったけれど。
ずいぶんと難のあるようで、その実意外と素直だった彼の事は、けして悪くは思っていなかった。
ここを出られる羨望と、世話をしてやっていた相手に置いていかれるような悔しさと、それから僅かな淋しさを覚えたのは、つい先程のことだ。

手紙を書くような人物とは思っていなかったから、いったいどんな重要な用件かと、僅かに急きながら。]

………、へえ。

[一枚きりの便箋に纏められた文面に眉を上げて、上から下へ、素早く目を通して。
それからもう一度、要所と思われる箇所の文字を追う。癖になった流し読みは必要ないほど、それは簡潔なものだったのだけれど。]


朝顔、…ね。
どうして僕が。

[患者の世話に加えて、花の世話までしなければいけないのかと。始めに思わず、不満が口をついて出る。
それよりも、最後に綴られた名前の前に書かれた数行を、念入りに読み返した。ここにいる間はけして聞くことのなかった謝辞の言葉に、薄く目元を染める。
――悪い気がしない、から、困る。]

押し花まで、僕が作って差し上げる義理は…ないですけれど。

[便箋の紙を几帳面に伸ばしながら、誰にでもなく言い訳をするように呟く。それくらいは、彼自身にやってもらわないと。

そもそも、自分宛に頼まれた仕事を放棄すなんて、自分にはできないのだ。
上手いこと一方的に仕事を押し付けて去っていった彼に、小さく溜息を吐いてみせながら。]

それにしても、朝顔の種とは。
……なんて似合わない。

[同じ名前をした少女の存在にはすぐには思い至らずに、あの仏頂面が種を植えるところを想像して、思わず頬を緩める。
後で花の場所を確認してやらないと、なんて、几帳面なふりをしながら考えた。]


――現在・食堂――

[あっさりと済まされた手続きの後、渡された書類やカルテを含めた私物を、新たな執務室へと収めてしまって。
そうして空いた時間に、食堂へと足を運んだ。

僅かな緊張で固まった肩を解して、深く息を吐いた後、珈琲に口をつける。
テラスに備え付けられた小さな花壇に目を留めて、ソーサーにカップを戻しながら。
何度か通った、中庭の朝顔のことを、思い出す。

結局言いつけ通りに通ってしまった朝顔の種は、まだようやく目を覗かせた程度だ。
これでは押し花も何も作れたものじゃないと、それを作れないことに、それからそう思ってしまうことに、複雑な心地にはなったけれど。
他の花に合わせて几帳面に周りを囲んでおいたから、きっと誰かしらが世話をしてくれるとは思う。]

――別に、どうでも良いのだけど。

[そこまで飛んだ思考を無理やり引き剥がすように、小さく呟いた。

疎ましくてたまらなかったあの場所に、離れてからいざ思考を寄せるというとは、未練がましくて敵わない。
そういえば此処にくる前にも、らしくないことをしてしまった、と。
以前の場所よりどこか濃く感じる珈琲に辟易しながら、目を伏せた。]


――回想・隔離病棟/昇降口――

[院長からの手紙を受け取って、ずいぶんと急なスケジュールで、すっかり身支度を整えた後。
元から物の少なかった自室も、備え付けの家具を除いて空っぽになっていた。
少ない手荷物だけを持ちながら、一度中庭へと足を運んで。

その後で昇降口へと辿り着けば、時計を確認してひとつ溜息を吐いた。
どうやら、迎えの予定よりも少し早すぎたようだ。]

………、まだ大丈夫か。

[病棟へと続く廊下へ目をやって、昇降口との間で、僅かに視線を彷徨わせる。
かつりと靴を鳴らして、足の向きを変えて。]


――回想・病室前――

[幾度か訪れたことのある扉の前で、足を止める。
扉をノックするか、否か。少し悩んで、結局上げかけた手は下ろして。
先に中庭に出た時、目についてこっそりと手折ってきた花を一輪、扉の隙間に挟み込んだ。]

……すみません、
思っていたよりも、短い間でしたね。

[扉越しに小さく呟いた言葉は、中まで聞こえたかどうか、怪しいものだったけれど。

ここに来てから、まだ二ヶ月も経っていないというのに。何かにつけて構ってくる女性にどう対応したものかと、頭を抱えることも多かった。
けれど日々鬱々とした自分の鬱屈は、彼女と居る時には成りを潜めていたと。そう気付いたのは、いま此処に立ってみてからで。

派手な容姿をしているくせに、時たま見せる陰りのある表情は、普段のそれよりずっと好ましいとも思っていた。
それが彼女にとって、どんな意味を孕んでいたとしても。]


失礼かも知れないけれど――、
貴女のその奇病を、羨ましいと思ったことが、無いわけではないです。

――それと同時に、

[痛みを感じる自分に、優越感を覚えたことも、とは。
囁くことすら躊躇われて、静かに飲み込む。
どのみち口にした独白は、身勝手な無いものねだりでしかないけれど。
聞こえないだろうと知りつつ、…だからこそ、静かに言葉に乗せて吐き出した。]

[背に負った温い温度が思い出されて、結局何も与えることのできなかった自分に、そっと目を伏せる。
振り払うように唇を緩めて息を吐き出すと、ぴたりと閉じた扉に向けて、腰を折って頭を下げた。]

どうか、お元気で。
貴女にも、青い鳥が訪れることを、……、

[少女の言葉を借りた傲慢な願いは、最後まで言い切ることはできずに。
ローズマリー・シャルルの名が書かれた札を一瞥してから、踵を返した。]


………、

[どこか懺悔するような響きの言葉と、薄く色付いたスイートピーの花を残して、歩いてきたばかりの廊下を再び戻って。
そうしてすぐに、ずいぶんと短い勤務になったその建物を、後にしただろう。

消化できない多くの想いは、結局ともに引き連れてゆくことになってしまったけれど。*]


[喉の奥へと押し込む手に、まるで縋るように添えられた手に目を細める。
嗚呼、堪らない。その惨めな姿が堪らない。
ナイフを手にする度に怯え、触れる度に萎縮するその姿の、何と滑稽な事か。
これでまた、桃を食う度に思い返しでもしてくれるのなら…此方としての成果も上々だ。

目の前で嘔吐を繰り返す様を、何ともつまらなさそうに眺めながら。
"取り敢えず口にはしましたし、いいですかね"なんて言いながら、口の煙草を灰皿へ押し込み、切り分けた別の桃の欠片を口に含む。強い甘みと瑞々しさに舌鼓を打ち、服に掛かった嘔吐物をタオルで拭う。

そしてもう一口。
嘔吐きながらも震えるその姿から視線を外し、呑気に桃など味わってみる。加えて三欠片程胃袋へと送り込んだ所で、ようやくこの空腹も紛れてきてくれたようで]

…本当に苦しそうですね。大丈夫ですか。
それにしても。吐くほど嫌いですか、俺が。

[手を濡らす桃の汁をタオルで拭い、震えるその背を撫でようと手を伸ばせば、果たしてその手は振り払われでもしただろうか]


[――嗚呼、それにしても。
先刻聞いた、あの自分へと乞う声へと思いを馳せる。泣きそうに歪められた顔と共に告げられたそれは、実に、実に甘美なものだったではないか。

胸を擽るその響きを思い返し、その顔には仄かに恍惚の色を滲ませて、微かに熱い息を吐く。
愛おしい、何と愛おしい。胸を焦がすその感情――ある種の慕情に、背筋をぞわりと粟立たせながら]

口、濯いでください。
――それとも、いっそ全て出しますか。

["手伝いましょうか"、なんて。
最早医者とは思えぬ言葉を平然と吐いてよこし、席を立って相手の顔を覗き込む。
先程のように顎へと手を伸ばし、今度は桃ではなく、指を。
濡れて汚れたその口内に、喉の奥へと捻じ込んでやろうと笑ってやれば、彼は果たしてどうしただろう。

――嫌ならば、無様に乞うてみてください。
そんな言葉を、愉悦に細めた眼差しへと乗せて]


メモを貼った。


メモを貼った。


――現在・食堂――

[冷め始めた珈琲を、惰性で呑み込もうとしながら。活気に溢れる食堂を、どこか遠い世界のような心地で眺めた。

大きな病院へと転勤できたこと。不満で仕方なかったあの場所から、離れられたこと。
まだまともに喜んでいないと、そんなことに今更気付いて。
飲み干した珈琲が裂けた舌にじわりと染みたのに、ここへ来る前の出来事を想い出して眉を寄せた。

――御兄弟で転院なんて、仲がよろしいですね、と。
書類の処理をしながら、場を繋ぐ為に事務員から掛けられた軽口には、言葉を返せずに喉を詰まらせることしか出来なかった。]


[弟の転院を知らされたのは、倒れた弟をなかば引きずるような形で部屋へと運んで、無理やり薬を飲ませて、それから逃げるように部屋を出た、――その後だったけれど。
それを本人に確認することもできずに、顔も合わせもしないまま病棟を離れた記憶は新しい。]


[堂々巡りの問答を繰り返して残ったのは、喉にへばり付く鬱血痕と、慣れてしまった口内の裂傷と。――それからぞんざいに開かれたまま溢れた、どす黒い思考の名残と。

自分は結局何一つ変わることなく、むしろ悪化したともいえるのに。
それに反して、弟を取り囲む環境は、良い方向へ向かっている。
そんなこと、知りたくなかった。]

…………くそ、

[カップを乱雑に置いて、肘をついて指を組んだ手の上に、額を載せる。
"置いていかれるのではないか"、そんな懸念は、奇病の治療によって消えたものかと思ったけれど。
――結局は何も変わらない。
どのみち自分だけが、身動きが取れないまま取り残されるのだと。]

どうすれば、……いや、

[焦燥めいて落とした言葉に、自分では答えを出せないことは、とっくに気付いている。
新しい環境で、ただ仕事に打ち込めたら良いと考えても、渡されたカルテの中に弟の名前があったことを思い出せば、なおさら気が滅入るばかりで。

包帯を巻いた喉を押さえて、気道を作ろうと動かしながら、深く息を吐いてから立ち上がる。
施設内を見て回れば良いと、掛けられたそんな言葉を思い出しながら。]


[成人しているか否か、という質問に対してクシャミはやっちゃったなぁ…というような表情で頬を軽く掻いた]

に、にははは……こ、これはね。えっと、ほら。でぃ…お友達に勧められて!!

[ディーン、と言っても恐らくレティーシャにはわからないだろう、と勝手に友達呼びをしてみたがきっと彼は自分の事を友達とすら思ってないんだろうな、と考えると少し悲しくなったりして]

ニハハ、そんな急にぼんきゅぼんになったり身長高くなったら僕がビックリするにゃー。子供扱いした事なんかないのに

[ただ、背が低かったりすると不便そうだな、と手伝ったりしてるだけで。クシャミは最初から年齢などあまり考えていなかった。同じ奇病患者であって、それはみんな仲間みたいなものだと
パフェを食べながらも別の考えをしているように見えるレティーシャを横目で見ると、自分はとっととトレイの上にあるデザートを平らげてしまった]


んー、美味しかった!お腹いっぱいになったら眠くなるよねー

[と、腹を押さえてはみるがかなりの量の甘いものは男のクシャミにとっては胸焼けの原因となっていた。眠気は愚か吐き気が勝る一方だったがそれを表に出すわけにはいかずそばにあった水を飲んでその場をやり過ごす事にする]

(なーんで、食べられもしないのにこんな……)


ー回想ー

["完治"というクシャミの言葉と、突き立てた親指、そしてその笑った口元を見れば意味はよくわからなくても、いいことがあったのだと素直に信じ込んで、拍手を送る。

そうして、プリンを食べ終え、つぎはフルーツの攻略へと取り掛かる。
レティーシャが足してくれたイチゴを真っ先に口に運び、うっとりと目を閉じて味わう。
自然とにんまりと口元が緩み、一口、二口と果物をフォークではこんでいく。]

………!

[ふと、誰かが『中庭』と言ったのが聞こえ、瞬きを一つする。]

(ふたごのおにーちゃんは、どうしてるかなー。)

[向こうの病院での数少ない思い出。
その中で『中庭』と言われれば、思い出すのはやっぱり]

(あさがお、さいたかなー)

[そんなにすぐに咲くはずがない。という事実は、幼子の頭では思い浮かばず、楽しみで仕方が無い。という表情になる。]


[そして、ふと思いついた。]

にゃーにゃのおにーちゃんや、キラキラのおねーちゃんがおひっこししてるなら。
ふたごのおにーちゃんもいるかもしれないよね。
あさがお、さがしてくるっ。

[素敵な思いつきに背中を押されるように、少し前のめりになって発した言葉。
その言葉に二人はどう反応しただろうか。
もっとも"あとで"なんて言われても、朝顔の耳には入らなかったと思うけれど。]

ごちそーさまでした。

[元気に手を合わせる、空っぽのお皿が乗ったトレーをカウンターへと返却すれば、そのままその足で食事を出て行く。

クシャミとレティーシャには"またねー"なんて手を振って。]


メモを貼った。


[返却口にカップを下げて、気怠い身体を叱咤しながら、食堂の外へ向かう。
途中見知った二人の顔が目に入ったものの、以前会った時も仲睦まじく行動を共にしていたのを思い出せば、声を掛ける気にはならない。
自分とはあまりに無縁なその感情を、妬むような、蔑むような目で流し見ながら。]

……あれは、?

[出口に差し掛かった時、同じく食堂を出ようとする小さな少女の影を認めて眉を上げた。
誰の手も借りずひとりで歩く姿には、一瞬目を疑ったけれど。]

もう、こんなに回復するのか。

[先に転院していたことは知っていたものの、見違える様子に小さく感嘆の声を漏らす。
実際に回復した患者の様子を見れば、ぐ、と。思わず包帯の上から首を押さえて、――振り払うように、そっとかぶりを振って。]

ほら、
余所見をしながら歩いたら、また転んでしまいますよ。

[食堂へ向けて手を振りながら外へ向かう少女に、声を掛けて引き止めようとする。
前までの回診の癖でそっと背を屈めながら、けれど彼女には怖がられてばかりだったことを思い出した。
それでも結局、告げる言葉は小言めいたものになったのだけれど。]


ー食堂外ー

[食堂の方を振り返りながら歩いていたせいか、それとも元から注意力が散漫なせいなのか、それはわからないけれど。]

わっ……わわ!?

[かけられた声に勢い良く前を振り向こうとしたものの、足だけは立ち止まることができず、声の主にぶつかりそうになる。

体の小さな朝顔のこと、もしぶつかられたとしても、相手にはさしてダメージもないだろう。
もちろん、歩幅も小さいから、避けることも簡単だろう。その場合はペタンと尻餅をついただろうが。]

あ……あれ?
わんわんのせんせー?

[ともあれ声の主を見留めれば、目をまん丸に見開いて、ポカンと口を開く。
なんでこの人がいるんだろう。という顔で。]

わんわんのせんせーも、おひっこししたの?


わ、…ちょっと、だから言ったでしょう、!

[声を掛けたは良いものの、止まる気配を見せずに接近する少女に目を丸くする。
慌てて身を低めて、勢いづいたその身体を受け止めて。軽い衝撃に、やれやれと首を振った。]

わんわ、……はぁ、ローランドです、…朝顔さん。

[目を丸くする少女からは、今まで回診の度に見せていた怯えは感じ取れない。
それならばと、悪気もなく呼ばれた不本意なあだ名は、しっかりと訂正して。しゃがみ込んだ態勢で視線を合わせて、少女の疑問に答える。]

おひっこし……、そうですね、今日からこちらに転勤になりました。
ここでもまた、回診に……ええと、お話を聞きに、行きますから。

[なるべく易しい言葉で対応しようと試みるものの、辿々しいそれが理解されたかどうかは理解らない。
病状を尋ねても良かったけれど、見る限り確実に快方へと向かっているようだと、内心頷いて。]

そんなに急いで、一体どこへ行くつもりだったんですか。

[ふと、慌ただしい先の様子を思い出せば、ゆっくりと首を傾げた。
気の抜けた挙動に反して、語調がきつくなるのは、どうしたって抜けない癖なのだけれど。]


……と、いうことは、クシャちゃん飲める人なの?

[にぃ、と嬉しそうに口角を上げれば、それなら少し付き合ってよー、と葡萄酒のグラスを持ち上げた。そのままグラスに口をつければ葡萄酒を飲み干して、ほんのり熱く火照った頬を指先で触れて。その“友達”とやらは何者なのだろう、と想像する。酒を酌み交わす友達がいるのはいいことだと思う反面、なんだか面白くないと思う自分もいて大人気なく嫉妬してみたりして。]

じゃあ、クシャちゃん驚かせる為にぼんきゅぼんになるねぇ?

[冗談めかして呟くとパフェのスプーンを手に取り、溶けかけたアイスをつついて口に運ぶ。彼は驚いたらどんな表情をするのだろうか、前髪の下の瞳はどんな色をしているのか、考えてみるだけでもわくわくする。残り少ないパフェはやや温くなってしまっていたけれど、そんなことを想像しているレティーシャには些細な事に感じられた。]



ええっ、早い!もう食べ切ったのー?

[多量のデザートを短時間で食べ切った青年に対して驚きの声をあげると、すごいねー!とはしゃいで。なんて面白い人なのだろう、と尚更彼のことを知りたくなる。自分でも制御出来ないほどに彼への関心は肥大化していった。良くないと分かっていても、それは心地良くて。このまま欲望の渦に沈んでしまうのも悪くない、と思った。

そんは思考を少女の無邪気な声が遮ると、我に返って。こんな感情を人に悟られるわけにはいけない、とこちらも無邪気な笑みを作って、またねー!と手をぶんぶんと振り替えした。]


メモを貼った。


わー。セーフ?

[転ぶことなく抱きとめられれば悪びれたようすもなく、呑気な声を出してみたり。

じっさい夢中になると、周りが見えなくなる性格なので、奇病を患う前などは毎日のように転んだり、ぶつかったり。
とはいっても、双子の姉も同じようなものだったから、今週はどちらが多くたんこぶを作ったか。なんて張り合ったりしたものだけれど。]

えー…。わかった。

[せっかくつけた自信作のあだ名を、さらりと訂正されれば、不本意そうに唇を尖らせはするものの、一応名前で呼んでみたり。

けれども、その次に続いた"今日からここにお引越し"という言葉に、せっかく覚えた名前も何処かに飛んで行ってしまう。]

わーい、じゃあ。こっちでもまたあえるんだね。

[それがいいことなのかは、わからないけれども。知っているお医者さんの方が怖くない。だから]

わんわんのせんせー。こっちでもよろしくね?

[抱きとめられた腕に、ぎゅうと抱きついた。]


んー、その人に「お前は酒を飲むな!一生だぞ!!」って怒られちゃったんだよねー

[本当、酷い話だにゃー。と、ニヘラと笑ってレティーシャの期待に答えられないのは少し残念なように苦笑した
幼い体型ながらも葡萄酒をくちにして少し黒ずんだ皮膚。恐らく顔は赤くなってるのだろう。それを想像すると色っぽくも思えたりして]

ニハハ、楽しみにしてるよー

[きっと退院した後もレティーシャと会う機会は出来るだろう。それを考えると今からでも楽しくなり、生きている実感を得ることが出来た
そんな話をしていると朝顔が席を立って気が付いた時には自分の声が聞こえるかどうかの距離までに行ってしまう]

またねー!あと、転ばないようにね!

[少し行った所で隔離病院でも見た先生が呼び止めていたのが目に入り、きっと大丈夫だろう。と視線をレティーシャに移した。自分は食べ終わったが、その幼い体は全てすぐに食べきれるほどではないだろう
もしもレティーシャが嫌がらなければクシャミは暫く座ってその食べ続ける彼女を見ているだろうが、彼女の反応はどうだったか]


[腕にしがみついたまま、顔だけをあげて相手を見る。

なにか大切なことを、聞き忘れているような気がして。
なんだっただろう。と首を傾げようとした瞬間、発せられた問いに大事な用事を思いつく。]

あ……そうだった!あのね。
にゃーにゃのおにーちゃんも、おひっこししたなら
ふたごのおにーちゃんもきてるんじゃないかな。
って、おもったの。
だから、さがそうかなぁ。って

[双子のお兄ちゃんが、ここにいるか知ってる?
期待に満ちた眼差しを注ぎ、そんなことを尋ねてみる。

オスカーが転院している保証なんてなかったけれど、なんだかこの病院にいるような気がしたから。]


う、ぐ……、

[漸く嘔吐感も薄れて、シャツの袖で口を拭う。スーツも合わせて、それなりの値の物なのだけど。どちらにしろこれを残しておくつもりは無かったから、遠慮などしなかった。

今日と言う日の痕跡を全て消してしまいたい。そして何事も無かったかの様に過ごせれば、それが一番だ。
――勿論、そんな事は出来ないと分かっているけれど。

ちら、と。こんな状況で桃を食べている彼を盗み見て。よく人が吐いている横で物が食べられるものだと、ある種感心してしまう。
何処までも飄々とした態度にはやはり苛立ったけれど、それだけだ。だから何を出来るわけでもない]

――好かれてると、思える方がおかしい、だろう。

[散々無体をはたらいておいて、なんて。
嘔吐が終われば、無理にいつも通りの悪態をついてみる。……そうしないと、自分を保てなくなりそうだった。
意識していつも通りを装わなければ、心まで屈してしまいそうで。それだけは、絶対に嫌だった。

けれど彼が此方を覗き込んでくれば、さっと顔を青く染めて]


や、だ……、
ぃやだ、もう……!

[やだ、と。何度も繰り返して、ふるふると首を横に振る。
全部も何も、既に胃は空っぽだ。今更何かを吐き出そうとしても、粘っこい胃液くらいしか出てはこないだろう。

だというのに侵入してくる指を、必死に押しとどめ様とするけれど、手に力が入らない。
もう持ち上げる事すら億劫で、ただ涙目でその指を受け入れるしかなかった]

……ッぁ、ぐ、

[一瞬、その指に噛み付いてやろうかと力を込めるけれど。……けれどそうした後の事を考えて、ギリギリの所で踏み止まった。
僅かばかりは歯が食い込んだだろうけれど、痛みは伴わなかっただろう]

っう゛、えぇ、

[喉の奥から胃液がせり上がってくる感覚に、酷く顔を歪めて。ぼろぼろと涙を流しながら、またそれを吐き出そうとする。
これを吐き出せば、彼は満足してくれるだろうか。
薄っすらとそんな希望を持つけれど、果たしてどうだろうか]


(えぇ、嫌いでしょうね)

[無理した様子で吐かれた悪態に、胸中でほくそ笑む。此方の言葉に一々そうして歯向かってくる彼が愉快で堪らなく、そして愚かで疎ましく。
好かれているなど、欠片も思うていないとも。そんなつもりすら、あるわけがない。
それでも、何故だかほんの少しだけ胸がざわつくのも――常の、事で。

そんな事を考えていれば、指に僅かに食い込んだ歯に、微かに眉を寄せた。
嗚呼、まさか。まさか自分のこの指に、噛みつこうとでもしたのだろうかと]

学習しませんね、君も。

[呆れたような声と共に、押し込んだ指をほんの僅かに引いてやる。せり上がっているであろう胃液は、それで少しは楽になっただろうか。
しかし指を引き抜く事はせず、代わりに口内を弄ぶように擽ってやれば、彼は一体どうしただろう]


……嫌なら、乞うてみてください。

[今度は、聢と言葉にして。顔を寄せ、その耳に必ず届くように。
嫌だ嫌だと言うのなら。その願いを聞き入れて欲しいと、心から願っているのなら。
無様に惨めに懇願くらい、簡単にやってみせれるでしょう、と。
未だ頑として手放そうとしない、君の最後のその誇りを――かなぐり捨ててみてくださいよ、と]

――俺が君を、赦したくなるように。

[低く囁き、顎を掴んでいた手をそっと相手の頬へと伸ばし。溢れる涙へと唇を寄せ、あやすように雫を掬う。
抵抗する気力も無くしているらしい彼は、果たしてそれを振り払えたかどうか。

触れるだけで嘔吐く程に、見つめるだけで青ざめる程に。それ程までに、その身体を蝕む事が出来たのならば。
次はその、辛うじて保たれているその心を。
――粉々に、砕いてあげましょうか]


それって、変な酔い方でもしたんでしょー?

[彼のにつられて笑うと、お酒をあんまり飲まないのか、それともお酒に弱い体質なのか、と想像してみて。正体の分からない“友達”とやらに対抗心と嫉妬が入り混じった感情を抱く。]

じゃーあ。
わたしがグラマラスな大人の見た目になったら、嫌でも付き合わせるー。

[少し考えて駄々っ子のように言えばその時にはいい大人になってお酒を飲むようになっているんじゃないかなー、なんて続けた。それとも未だに誰かの言い付けを守って禁酒しているのだろうか。それも、面白いかもしれないなぁ、と思って。――どちらにしても退院後にお互いどうしているか予想も出来なくて。彼の周りにもっと人が寄り付いたら、レティーシャことも、こうして話していることも、過去として追いやられてしまうのではないだろうか、と不安に思ったりするけれど。]



――そんなに見ても、何も面白くないよ?

[視線を感じて彼を一瞥すると、首を傾げた。さっきまで彼のことを観察していた自分の姿と重なって、苦笑いを浮かべて、なんだか恥ずかしい、と片手で火照った顔を軽く隠した。だからといって彼の視線が嫌なわけではなく、寧ろ彼を独占している気になって心地よくも感じて。残り少ないパフェを食べ切るとご馳走様でしたと手を合わせ、目を伏せた。彼をわたしに縛り付けるにはどうすればいいだろう、と。楽しそうに笑む表情とは別に、彼に見えないところで爪が食い込むくらいに手を握りしめた。]


…何が"セーフ"ですか。

[呑気な声には、深くため息を吐く。怪我がないのならば良かったけれど。
それでも素直に名前を復唱されれば、聞き分けの良さにうんうんと頷く。]

ええ、まあ、そういう事になりますね。
完治するまで…貴女が元気になるまで、お手伝いさせて頂きますから、……、

[嬉しそうな声にも、悪い気はしない。とりあえずは離れようと身を引き掛けたところで、腕に抱き着かれて目を丸くした。
子供には――肉親ですら例外なく――好かれた試しがない。無邪気なその動作に、僅かに狼狽えながら。]

…え、ええ。
こちらこそ、よろしく…お願いします。

[見上げてくる真っ直ぐな視線から目を逸らす訳にもいかずに、やや上ずった言葉を返す。
再び戻った不本意な呼び名にまで、意識は回らずに。予想外のことに頬が薄らと熱を持つ感覚すら、不可抗力とはいえ情けない。]

(――これだから、子供は嫌いなんだ)

[目の前の少女に、恨みがある訳ではないけれど。確認するように内心毒付いて、――思わず浮かびかけた"子供"の面影は、少女の思考する様子に意識を向けることで追い払った。]


[変な酔い方、と言われればピクリと肩を動かして。酔った勢いで男とベッドでもつれ合い、その挙句ディーンに近付かれ耳に息を吹きかけられたり素顔を見られたりと、暴走に暴走を繰り返したなどと誰に言えるだろうか]

そ、そうだねー。なんか僕お酒苦手みたいだにゃー

[あんまり記憶になくって。ととっさに嘘をついたがそれは見破られてしまうだろう]

んー、僕は今のままのレティでも凄い好きだけどにゃー

[もしも、マリーのような体型になったらと想像してクスリと笑う。それはきっとマリーだからこそ似合う所でありレティにはやっぱり今のままが良いな、と勝手に思ってみたり]

…でも、完治したらお祝いにちょっとだけ飲むと良いかもね

[勿論僕はお酒を飲まないよ、とは言わなかった。せっかくのお祝い事に水を差すようだったし、それはレティーシャの望む事ではないだろう。もしもそんな状況になったら考えれば良い事だ]

ニハハ、レティにずっと見られてた気がしたから仕返しかな?

[自分が見ている事を指摘されればその視線は自分の空のトレイに移して、いつトレイを返却しようか。食べ終わったなら席を立って場所を移動するべきかと迷っていた]


ふたごの……、
…もしかして、コープラさんでしょうか?

[少女の知り合いで、双子の男性といえば、一人しか浮かばない。
あの青年がこの少女と親しくしている様子が、どうにも想像できずに、曖昧な答えになったけれど。
それではきっと伝わらないだろうと、その後に慌てて特徴を並べ立てながら。
先ほど目を通したばかりのカルテの情報は、難なく思い出された。]

彼なら確か、病棟4階――420号室に居るはずだと、思うのですけれど。

[期待に満ちた眼差しを受けながら、どことない居心地の悪さに目を伏せつつ答える。
行くのならば立ちなさい、と。しがみついた少女の肩に手をやって離しながら。
場所が分からないのなら、案内くらいはしてやろうとは思うけれど。]


そっかあ、苦手なら仕方ないねー。

[彼の反応から嘘にはすぐに気づいたけれど、それなら無理に勧めないよ、と笑った。彼が動揺するような何かがあったこと、そんな姿を見た誰かがいることに静かに憤りを感じて。誰かが既に彼の素顔を見ているかもしれないと思うと、息が詰まるような感覚に襲われる。この感情を抑える術は持ち合わせていなくて、より一層握り込む手に力を加えることしか出来なかった。]

気を遣われるのは苦手なんだもん。

[ぽつり、と呟くと右手の人差し指でつん、と彼の額の辺りを1度つついて。苦手なんだから無理して飲もうとしなくていいから、と続けた。執着心と欲に塗れた心にもまだほんの僅かながらに良心のような気持ちは残っていて、それがなんだか気恥ずかしくて小さく息を吐く。それでも、恥ずかしさは消えなかったけれど。]



なんだぁ、気付いてたんだねぇ……?

[でも、クシャちゃんは見られても恥ずかしがらないから仕返し以上だよ、と口を尖らせれば空のお皿とその下のトレーを見つめて。食べ終わっているのに此処に居座るのは迷惑だろう、と考える。]

――クシャちゃん。もう少し時間ある?

[よければ、わたしのお部屋に来ない?と声を掛けて。こんなこと人に言ったのは初めてなせいか声は震えていたけれど、彼には気付かれていただろうか。]


[無理して飲まなくて良いよ、と言われるとそれなら少しでも酒の席に同席出来るように何か違う飲み物でも頼みたいな、と考えながらそれがいつになるかを想像してるだけで楽しかった]

ニハハ、そりゃあんなに見られたら恥ずかしいにゃー

[全くそんな素振りは見せずにむしろ気にしていなかったようにヘラリと笑ってみせる。実際内心では頬にクリームでもついてたかな?と不安だったが指摘がない所からそういう心配は無さそうだった
レティーシャの部屋に来ないか、という問いには気まずそうにヘラリと笑って応える。女性の部屋に上がり込むのはさすがに道徳的にはどうなのだろうか。とは言っても公共施設の病院なので間違った事はないだろうが、それでも相手がレティーシャだと緊張する所もあった]

んー、僕は平気だよ

[無難な返しをしてから、トレイを持って立つ。もしもレティーシャがそれを肯定と受け取るのならトレイを返却してからレティーシャの部屋へ向かうだろう]


クシャちゃんも恥ずかしかったなら、おあいこでいーよっ!

[彼の嘘はすごく分かりやすい。これといって明確な理由はないけれど、直感で彼の嘘が分かってしまうのだ。彼に悪気は無いんだろうけど、彼に嘘を吐かれることが――見え透いた嘘を吐かれることが我慢出来なくて。それを素直に信じてあげられる余裕も、優しさも枯れ果ててしまった。]

そっか。それなら、良かった……。

[彼の答えに、断られたらどう誤魔化そうかと思っていたところだった、と安堵の笑みを漏らす。それじゃあ、行こうか!と明るく言えばトレーを返して自室へと足を進めて。

転院してから自室には向かって居なかったが為に、院内の地図と睨めっこしながら廊下を数分ほど進んだあたりで足を止める。何度か部屋の番号と名前を確認すれば、小さく頷いて。]

……ん。ここみたい……!

[呟くと扉を開けて一足早く物の少ない部屋に入ると、入っていいよー、と声を掛ける。それからベットの端に座れば手荷物が部屋に届けられていることに気付いて中身を覗いた。手荷物の中のワインオープナーを取り出すと、彼に見つからないようにポケットの中に入れて。]


う?コープラさん……?

[セシルの言葉に、そんな名前の人いたかなぁ。と不思議そうな顔をして。]

んーと、ふたごのおにーちゃんは
オスカーおにーちゃん。ていうの。
あさがおといっしょに、あさがおのタネうえたんだー。

[情報にもならない情報を朝顔なりに付け加えていたが。]


[やがてセシルが述べた『コープラさん』の特徴が、オスカーのものと合致することに気がつくと、ようやく納得したらしく大きく頷いて]

4かいにいるんだね。

[促されるままにきちんと立てば、ついでに浴衣を手で軽く払う。

場所がわからなければ案内を。という相手の気遣いなんて、朝顔には伝わるわけもなくて]

わんわんのせんせー。ありがと
あさがお、あいにいってくるー。

[ぺこりと勢い良くお辞儀を一つして、パタパタと廊下をかけて行く。

呼び止められれば、振り向きはするだろうが。
心はとても急いているから、きっと立ち止まることはしないだろう。]


[エレベーターに乗り込み一階の食堂を目指す。ここに人が居れば自然と被害妄想でも生んだのだろうが、一人で乗り込んだためか、気分は幾つか楽だった。
オスカーには発症時の自覚などは殆どないのだけれど。]

…平和だ、

[白い病院の内装で、平和で穏やかな時間が過ぎる。刺激とは無縁だったけれど、そんな時間も悪くない]

[部屋を出て、手に汗を浮かばせながら廊下を歩く人とすれ違ったけれど、彼らの関心がこちらに向いていないことが冷静な頭で気付けた。

…薬が効いてるのだろうか、と希望的に思う。苦しくならないし、思考を掻き乱すあの感覚が無い。何となく寂しい気がして気分は高揚しなかったけれど]

[そうして開いた扉を見れば思考することを止めて、目的地へ向かうべくエレベーターを降りた。]


[女性の部屋を覗いた時、健全な年相応の反応としてはドキドキするべきだっただろうか。ただ、クシャミの目にはその部屋はごく普通の病室で中は真新しく、そして白黒だった]

ニハハ、素敵な部屋だにゃー。僕もまだ自室あんまり行ってないからこんな感じなのかわからないけど

[そういえばここに来て延命処置をしてから真っ先に向かったのはディーンの所だった。と思い出しながら適当な椅子に不躾にも許可なく座った
道で迷っていた所から見ると恐らく彼女もあまりこの部屋に来ていないのだろう。隔離病院にずっと居た身としてはあまり病室にこもるのも楽しいと思える事ではないのかもしれない]

で、僕に何かお話でもあったのかな?

[別に話を強要したわけでも用がないと呼んではいけないわけでもなかったが、彼女の挙動はクシャミからしても少し気になる所であり、話があるのなら素直に聞き入れただろう]


―転院先・自室―

[やけに閑散とした部屋で存在を主張するベッドの端に腰かけてる。
未だにぼやける頭は、以前までのそれと違って眠気による物ではない。

伏せた頭に手を寄せて、前髪の辺りをくしゃりと掻き混ぜた。

馬鹿みたいな問答も覚えてる。ぶっ倒れたのも覚えてる。
いまいち信じがたい手紙を見て。よく分かんない内に運ばれて。
引き摺り込まれるなり早々の処置に苛ついて、存分に暴れた気もするけど。

それからの記憶がいまいち朧げだ。
もう長い事此処まで意識の遠退きかける感覚には出会ってなかった。
完全に途切れてくれる事はなかったけれど、それでも考えなくて済む時間が訪れるのは、待ち焦がれていたものに違いない。
いっそ、昨日の記憶のすべてを曖昧に濁してくれればもっとよかったけど。


頸に強く痕を残す痣や、手首のぐずぐずの傷や、腫れ上がった手の甲の関節や。過去の傷痕にも、ああだこうだと口を挟まれた気がするけど、眠気にかまけて黙ってたに違いない。]


うん、綺麗なお部屋だね!
ベットもふっかふかだし……!

[素敵な部屋と彼は言うけれどレティーシャの目には家具の少ない質素な部屋にしか見えなくて。彼の目が完治していないのではないか、という疑いの色を濃くすれば唇をきゅっと結んだ。彼は――なんで嘘を吐くのだろうか。負の感情はもう自分ではどうにもできない程に心を染めあげて、後戻りはもう出来ないのだと知らせるように酷く痛んだ。]

……わたし、ね。
クシャちゃんに嘘吐かれているの、知ってるんだよ?
――ねぇ。教えて。
どうして、わたしに嘘を吐くの……?

[震える声で彼に訴えかけるように言葉を吐くと、静かに立ち上がり変に警戒されないように気を使って彼にゆっくり背後から歩み寄る。ある程度の距離まで近付くと、そのまま彼の背中に体重を預けて左腕を身体に絡ませて。その後素早く右手でポケットの中を弄り、先ほどのワインオープナーを取り出すと強く握った。]

ごめんね、
こんなはずじゃ、なかったのに――……。

[彼の耳元で囁けば、自らの醜い心を表しているような螺旋状の針を彼の背中に軽く触れさせて。弄ぶようにくるくるとワインオープナーを回すと、悲しげに目を伏せた。]


あっ、ぅ、

[僅かに指が引かれても、それで安堵出来る筈も無く。咳き込みたいのを何とか耐えて、涙目のまま鋭い視線を向ける。

けれど流石に噛み付く事は出来ず、されるがまま、ようやっと届いた手で彼の腕を剥がそうとした。
――学習しないなどと言われたが、していなかったらもっと思い切り噛み付いている。それこそ、血が滲むくらいには]

[乞うてみろという言葉には、一瞬目を見開いて。寄せられた顔から逃げようとするけれど、きっと意味は無かっただろう。

唯一残ったプライドまでも差し出せという彼を、強く強く睨む。
そして頬に伸ばされた手に、爪を立てて。寄せられた唇から逃げる様に、小さく首を振った。
振り払う事は出来ずとも、受け入れてやる義理も無い。……否。受け入れたく、ない]

……ぁ、

[戸惑う様に喉が震える。どうするべきなのか、分からなかった。
――やめてくれと乞えば、この場は救われるのかもしれない。だがそれではきっとこれから先、このまま彼に支配されたままになるのだろう。
けれど乞わなければ乞わないで、何をされるか分からないというのは確かにあった。

でも。だからといって]


無理だ、そんな……。

[よりいっそう涙を零して、頬に触れる手を引き剥がすでもなく、握り込む様にして彼の手に触れた]

そんなこと、できない……、

[ふるふると首を振って、まるで許しを乞う様な声音で、そう言った。

頭の中がぐちゃぐちゃで、どうすれば良いか分からない。
彼の言う通りにしないで、何をされるのか。想像すら出来ないけれど、それでもちっぽけなプライド故に、そんな提案を受け入れる事なんて出来なかった。
そうして何度も、痛い目に遭っている筈なのに]

いやだ、

[まるで駄々をこねる子供の様にたどたどしい言葉を落とす。
しゃくりあげる度に揺れる肩は、酷く惨めだろう。とっくに保たなければいけないプライドなんて、壊されてしまっているのだと……そんな事、分かっていたけれど]


―――…、

[こんな事してたって、仕方がない。
重たい腰を持ち上げて、軋む微かな金属音のみ残して、まだ暫くは使う事もないだろうベッドを後にする。

靴底を引き摺るような気怠い動きで、慣れない室内を横切った。
扉を開いた先に広がっている廊下。
病院の景色なんて何処も似たようなものではあるけれど、
それでもそこにもやはり慣れない空気を感じる。

すれ違う病人達は、あそこにいた連中に比べれば、まだ活力があるような気がした。――まあ、気のせいだろうけど。

数メートルいった先に見えた窓に足を止める。
漏れ入る陽光はやけに眩しくて目に刺さるようで、
鬱陶しげに双眸を細めて顔を伏せると、また億劫そうに歩き出した。]


…痛い、じゃないですか。

[甲に立てられた爪に、微かに不機嫌そうに呟く。涙目のまま向けられた視線を、微かに強めた眼差しで睨み返し。
――割と機嫌が良い事に、感謝してくださいよ。
常ならば、それこそそのまま喉の奥を指で抉るくらいはしたかもしれない。しかし今は、責めるように一度だけ、上顎を軽く引っ掻いてやるだけにしておいた。
小さく呟いた言葉は、彼に届いたかは分からないけれど]

出来ませんか。
……なら、仕方ありませんね。

[戸惑いながらも拒絶の言葉を口にする彼に、溜息交じりにそう告げる。眉を下げ、至極残念そうな、落胆したような表情を浮かべて見せながら。

まるで乞うような彼の声は、それはそれは甘美にこの耳を擽ったけれど。
だが足りない。そんなものでは赦しはしない――もっと無様に、泣いてくれなければ。

指を一度完全に引き抜き、顎を掴もうと手を掛ける。例え抵抗されようとも、無理矢理強くその顎を掴もうとするだろう――その傷口に、指を食い込ませるようにして]


――ディーン。

[涙を流す相手の瞳を覗き込みながら。猫撫で声で名を呼ぶと、何とも人の良い笑みを浮かべて見せる――それこそまるで、善人のような、そんな笑みを]

ちゃんと、乞う事が出来たなら――今日はもう、"何もしませんよ"。

[たどたどしくも拒絶する、彼の震えるその肩へとそっと触れようと、空いている手を伸ばす。
嗚呼、しかし。まるで子供のように泣きじゃくる姿は、何とも愛らしいものではないか。

彼が目立った抵抗をしなければ、医者は宥めるように、安心させようとでもするように、その髪へと触れただろう。
そうして自然と顔を綻ばせながら、ゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
――彼にとっての一筋の希望を、決して零させないように]

――出来ますか。

[たっぷりの慈愛と、警告を込めたその一言は。果たして、彼にはどう届いただろうか]


づ、ぅ……っ、

[傷口に食い込む指に、小さく呻く。その痛みに体が引き攣って、制止する事すら出来ない。

呼ばれた名前に彼の方を見れば、その顔に浮かべられた笑みに小さく息を呑んだ。いつもいつも、やっている事とは正反対の顔をする奴だ。とてもじゃないが、理解出来ない。
――嫌だ。この笑顔は、嫌いだ]

ほんとうに……?

[彼の言葉に、思わず確認する様に問いを投げて。
何もしないなどと、そんな言葉を信じる事は出来なかったけれど。でも、今の自分はそれに縋るしか無いのだと気付いて、きつく眉を寄せる。

宥める様に触れてくる手には、欠片の安堵も浮かばなかった。とはいえ、それでも殴られたり嬲られたりするよりは、余程マシだというものだ。
そう考えれば、振り払う事もせずに、諦めた様に受け入れた。

――言い聞かせる様に紡がれた言葉に反発しようにも、言葉が見つからない。確かに彼から逃れる方法は、他には無いのだろう。
それなら最初から従順になっておけば良かったと……そうは思えなかったけれど]


[出来るか、などと。優しげに落とされた言葉は、脅迫にしか聞こえない。他に方法は無いのだと示したのは、そちらのくせに]

――や、

[薄く唇を開いて、喉を震わせて]

やめて、ください。
……ゆ、許し、て、ください。

[嗚咽混じりに許しを乞う様は、酷く惨めだっただろう。――けれど、他にどうすればいいというのか。災厄の様な暴力から逃れる術は、ディーンには無いのに。

抉られ開いたらしい顎の傷が、じくりと痛みを増す。言葉を発する度、泣き声を耐える度、存在を主張する様に痛むそれは、いつになったら治ってくれるのだろうか]

もういい加減、解放してくれよ……。

[小さく付け足した言葉は、彼に届いたかどうか。
"今日は"なにもしないと言った彼が、自分を手放す様は想像できなかったけれど。それでも、今この瞬間だけでも逃れる事が出来れば、それでいい。
この痛みから、一時でも目を背ける事が出来れば]


あ、…ええ、そうです、オスカーさんです。
…ほら、しっかりしなさい。

[少女の口から出た名前に頷いてから、あわててファーストネームを付け加えたけれど、それはもう必要なかったかもしれない。
合点がいったように頷いたあと、立ち上がった朝顔を改めて見て。
着物の裾に手を伸ばして、転んだ拍子にか折れた裾を伸ばしてやった。]

ひとりで、行けますか?
今度は転んでは駄目ですよ、……って、ああ。

[少女の切り替えの早さに辟易しながら、二度目の小言が、急く彼女の耳に届いたかは理解らないけれど。
しゃがんだままの状態で駆け出す背中を見て、薄く苦笑した。]


………子供は忙しいな。

[あそこまで活発な子供に会うこともなかなかなくて、その勢いに振り回されたような心地を覚える。
奇病からの回復の早さに、僅かに勝手な不安を煽られながら。

ふと前の病院の中庭に残してきた花を思い出して、ん?と首を傾げた。
花を育てるなんてイメージと全く結びつかなかった青年と、先の少女と、それから目を出したばかりの朝顔の花が重なって。]

…子供の御守りなんて、できたんだな。

[自分の事は棚に上げた感想を落として複雑な思いになる。
少女にも居場所を告げた青年が部屋を離れているとは、思い至らないけれど。]


[部屋にしてはやけに綺麗だな、とか思いながらそれは誰も使ってない病室のようで。表現がし難いけれどもクシャミの中では“誰も居なくなった病室”としか思えなかった。そこにレティーシャが居るにも関わらず]

嘘なんて…ついてないにゃー。ニハハ

[勿論嘘だった。ただ、いきなり密着してくるレティーシャと、刃物や人を傷付けるにはちょっと心許ないワインオープナーを突きつけられ、突然の事に身動きが取れなかった]

謝る事なんてないよ。それに、“まだ”引き返せるからさ


[まだ、と強調したのは今すぐそのワインオープナーをしまってベッドに座る事で何事もなかったかのように話せるんだ、という希望でもあっただろう。それに対してレティーシャがどんな返しをしたとしても、クシャミは責める事はしないし嘘をついた事は事実なので受け入れただろうが]

痛いのは勘弁してほしいかな、なんちゃって

[いつものような笑顔でニヘラと笑うと軽口を混ぜてみた。痛いのは嫌だが、毎日死に怯えてた恐怖に比べたら可愛らしいものだ、とでも言いたいように。体だけ幼い少女が持つ武器とも人を傷付けるためにあるとも言えないそれなら。恐れる事はなかった
それでもただならぬ雰囲気のレティーシャには押されていたが]


[確かめるように問われた一言には、"本当ですよ"と頷いてみせて。諦め受け入れられたのを良い事に、触れた髪に指を絡め、擽るように頭を撫でた。

そうして程なくして発せられた、嗚咽混じりの許しを乞う声には、極々僅かに目を瞬かせなどしてみせて]

…それで、いいんですよ。

[――嗚呼、何と。
何と惨めなのだろう。何と哀れで浅ましいのだろう。そして何と――甘く、美味なのだろう。
涙と共に情けなく、忌み嫌い憎む自分に許しを乞う、その姿は。
――微かな希望を持ち、此方に与えられた道を歩むしか無いその姿は。

撫でる手はそのままに、向けた笑みをさも愉快に強めていく。しかし続いた一言には、微かに片眉を跳ねさせた]

(……は、まさか。冗談じゃないですよ)

["解放"などと。そんな馬鹿な真似、すると思っているのだろうか。
――よもや。まだ希望を捨てきれて居ないと言うのだろうか。大人しく従えば、いつかきっと。自分に解放して貰えると…そんな希望を抱いているとでも言うのだろうか]


[――愉快、愉快。
そのちっぽけな希望を、決して捨てずにいるといい。縋る度にその希望を胸に抱き、今度こそはもしかしたら、と永遠に叶わぬ希望を胸に、涙を流して生きるといい。

その愚かな希望の種は、自分がしっかりと潰えさせてあげるから]

……けどまだ、足りませんね。

[さて、さて。
赦されると思うているのかは知らないが、赦されないと分かったのなら。彼は果たしてどんな顔をするのだろう。
顔に浮かべるのは柔らかな笑みを、しかしその瞳には微かな苛立ちを滲ませながら]

…あぁ、そうだ。
君から口付けでもして貰いましょうか。

[ふ、と。先程触れた時の、彼の顔を思い出して。此方からではなく、其方から。言葉ではなく、行動で。
口だけの言葉など、いくらでも吐くことは出来ますからね、なんて。
――彼がそんなに器用な性格とも思えなかったけれど、この際それはどうでもよくて。

丁寧に、丁寧に。その心へと、折り目を付けてあげましょう。一度付いた心の折り目は、例え綺麗に伸ばしたとしても、決して消える事はないのだから]


[身体を離し、血の滲むその顎の傷に触れようと指を伸ばす。触れる事が叶ったのなら、医者は指先に微かに付着した赤い血を、軽く舐め取りはしただろうか。
そうしてベッドへと腰掛け、足を組み。相変わらずの笑みを浮かべ、軽く手招きなどしてみせて。

解放なんて、とんでもない。
君は、俺のものですよ――"永遠に"。

内に広がる仄暗いその感情に、胸を微かにざわめかせながら独りごち。口の中だけで呟かれたその言葉は、恐らく彼に届きはしなかっただろうか。
"吐いたら怒りますよ"、と冗談めかし告げた言葉が、彼にどう伝わったかは分からないけれど]


嘘、だね?

[緊張と不安から震える声を抑えるように、それでいてそれを彼に悟られないように注意しながら彼に問う。答えたくないなら答えなければいい、それなら――この螺旋の鍵で彼の心を開いてもらうだけだから。]

――何言ってるの?
もう遅いんだよ、なにもかも。

[こうして彼を傷付けようとしているのだ、今更“なかったこと”になるわけがないのに。出来れば、こんなことしたくなかったんだよ?と彼に囁いて。]

痛くなるかは……クシャちゃん次第だよ?

[にぃ、と口の端を引き上げる。それから流石に服の上からじゃ刺さりにくいだろうと考えて、針を背中から首の肌が見えるあたりへ先端を焦らすように身体から離さずに移動させる。]

どうして嘘を吐くの?

[再び同じ質問を投げ掛けると、針の先端を彼の首の付け根にコルクを抜く時よりも僅かに浅く差し込む。…これが脅しではないことを彼に伝える為に。はたして彼は痛がってくれるだろうか、そして、笑顔の仮面を外してくれるのだろうか。]


……は?

[足りないという言葉に、僅かに目を見開いて。キスをせがまれれば、ぐっと顔を顰めた。
驚愕と、絶望と。その二つに意識がいっていたディーンは、伸ばされた指を拒む事は無かったけれど。それ故に、己の血を舐め取る彼に無感情は瞳を向けただろう。

――この期に及んで、まだ。まだ、これ以上を要求するというのか。
嗚呼、結局何も変わらないんじゃあないか。どうせこの要求を満たしたところで、またそれ以上を求められるに違いない。

……でも]

[何も言わず、ふらふらとした足取りで彼に近づく。
そうして組まれた足の上に乗りあげて、ぐっと彼の胸ぐらを掴んだ。

――口だけの言葉でも、どうせそれを真実にしてしまおうとするくせに。どんなに嫌がっても、許してなどくれないくせに。
苛立ちを滲ませる瞳を静かに見下ろして、小さく眉を寄せる。

触れそうな程の距離で、けれど数瞬躊躇って。一つ深く息を吐けば、ようやく決心がついたのか、少しずつ顔を近付けた]


――ッふ、

[唇を押し付けて、ぎゅっと目を瞑る。胸ぐらを掴んでいた手をそろそろと押し上げて、彼の首辺りに添えた。長い襟足を指先で掻き分けて、まるでその首を絞めんとする様に力を入れて。

――何と色気の無いキスだろうと、軽く自嘲する。けれども今回は、それで終わらせるつもりも無かった。

首に添えた手はそのままに、親指だけ伸ばして彼の顎を下へ引く。そうして口が開いたなら、角度を変えて舌を差し入れた。

……よくもまあ、吐いたばかりの人間と口付けを交わそうと思ったものだ。口内に残った嘔吐物の残滓は、きっと彼にとっても不愉快なものに違いない。ならば、と。それを押し付ける様に、舌を伸ばす]

……、
……満足したかよ。

[ほんの少しだけ長い口付けを交わして、けほ、と。一つ咳を落とす。
口元に当てた手は、勿論唾液を拭うだけのものでは無かったけれど。体が震えても、少しでも彼に意趣返し出来たのであれば、それでいい]


[震えるその声は耳の良いクシャミにはよく理解が出来て。ただ、それがどうして震えてるかまでは理解出来なかった。笑って流せば良いのに、どうしてそこまで自分に執着出来るのか、と乾いた気持ちだけがレティーシャに向けられていた]

ニハハハ、そんな嘘だなんて酷いにゃー。何も遅い事なんかないって

[せめて自分だけでも雰囲気良くしなければ呑まれてしまう、と考えて。首元にヒヤリと突き立てられる凶器は冗談でも脅しでもなかった。多分返答一つで容赦無い事になるだろう
それでも、ここで折れたら全てが台無しになるような気がして]

僕は嘘なんて吐いてないよ

[真っ直ぐと大嘘を吐いた。これがバレてもバレなくても自分が死ぬような想像は出来ないが、彼女に殺されるならそれも良いかなと思ってしまっていた
多少伸びた寿命が縮むだけで、やっぱり奇病は治らなかったんだと。そうすれば、あのやせ細った院長に殴られる事も無いだろうと思うと少しだけざまぁみろ。とか思ったりして]


[フラフラと。覚束ない足取りで近付いてくる彼を目を細めて眺めながら。
膝に乗り上げられ、胸倉を掴まれても尚、浮かべた笑みは崩さない。数瞬躊躇う彼に向けて、煽るような眼差しを向けはしたかもしれないが。

だがそれでも、存外素直に従った彼に、少々驚きはしたけれども。
――見下ろしてくる瞳の静かさに、何故だかほんの僅かな寂しさを、覚えてしまいはしたけれども]

(……苦しいですよ)

[首にかけられた手に、込められた手に、ポツリと胸中で呆れたようにそう呟く。それでもその唇を噛み切ってやらなかったのは、何かに耐えるようにきつく閉じられた瞳が、何とも愉快だったからだろうか。

嗚呼、それでも。
そうして刃向かってくるのなら、少しばかりの嫌がらせくらいはしてやろうかと。そんな思いと共に伸ばしかけた舌は――終ぞ、伸ばされる事は無かった]

(………、へ、ぇ)

[顎を引かれ、続いて感じた滑りとした舌の感触に、浮かべた笑みが消えた事を自覚する。同時に感じた悔恨と、押し付けられた不愉快な苦味に、ついと眉を寄せながら]


[――そう、不愉快だ。
折り目の付いたその心を、必死に伸ばそうとする様は、確かに愉快で堪らないのに。
こうまでしたのであるのなら、例えこれ以上を求めてやったとしても、彼は従ってみせるのだろう。それ自体は、愉快で愉快で堪らないのに]

…口を濯いでくらいは欲しかったものですね。

[震えながらも口元を拭う彼には、"酷い匂いです"、とあからさまな嘲笑を。
笑みで隠す素振りすら見せず、ただその苛立ちを剥き出しにして、向ける眼差しに乗せながら嘲笑ってやれば、彼は果たしてどうしただろう]

そんなに痛いのは嫌ですか。
――不愉快ですね。

[淡々とした呟きと共に、彼の顎を覆う包帯へと手を伸ばす。抵抗するのなら、それを押さえつけてでも、無理矢理その包帯を引き剥がし、開いた傷を露わにさせようとしただろう。

嗚呼、そうだ。
いっそ彼のその手で自ら、傷を更に深く抉らせるのも悪くは無いかもしれない、なんて。
そんな事を思いながらもその顔には、常とは違い、底知れぬ悪意の滲んだ笑みを。

そう、不愉快だ。
彼ごときに虚を突かれた自分の愚かさが――何とも不愉快で堪らない]


なんで……?どう、して……?

[どうしてここまでしているのに嘘を吐くのか、と動揺を隠しきれずに何度も何度も繰り返す。]

――怖く、ないの?
逃げてもいーんだよ?

[もちろん、簡単に逃がすつもりなんてないんだけど、と心の中で呟いた。ただ、逃げようとするなり、反撃するなりしてくれたほうが、こうして良心との狭間で迷わなくてもいいのにな、と思ったりもして。いっそ、彼に嫌な奴だと思われて嫌われたほうが楽なのだろうか。それとも、そこまで思われてもこの執着心は消えずに彼を求めるだろうか――。答えには辿り着くことはなかったけれど、そのうち自ずと分かるからいいや、と彼に刺したそれをさらに押し込んだ。螺旋が2周程彼の体内に刺さったのを確認すると、そのままくるくるとハンドルを回すのはあまり面白くないかな、と上唇をそっと舐めた。]


クシャちゃんの、嘘吐き。

[吐き捨てるように囁けばハンドルを斜めに勢い良く引っ張ると、螺旋が皮膚を引き裂いて。じわじわと溢れる赤い液体を右手の指先てすくうと湿った唇に塗り、それを綺麗に舌で拭い去ると満足気に笑みを浮かべた。]

ねぇ、嘘を吐いてないなら教えてよ。

[背後から幸せそうに笑ったまま、彼の顔を覗き込んで目にかかる前髪を撫でて。]

――わたしの髪は何色だった?

[意地悪く、彼が答えられないであろう質問を投げ掛けると螺旋の先で彼の頬を突ついいた。これでも彼が顔色を変えたり、嘘を吐くようならば、どうしようか、と考えながら彼の反応を伺って。]


……ふ。
何だ、あんたからしろって言ったんだろう。

[我儘な奴だ、と。苛立ちを見せる彼に、呆れた様に言ってやった。
向けられるのが苛立ちでも、嘲笑でも。先の白々しい笑顔よりは幾らかマシだ。ぶつけられる感情はせめて、偽物よりも本物であって欲しい。

酷く不快だろうその唇を、ゆるりと撫ぜて。これで多少は仕返し出来ただろうと、うっそりと笑う。依然体の震えは取れなくとも、小さく首など傾げてみれば、彼の苛立ちは増すのだろうか]

い゛……ッ!
――何なんだよ、あんたは!

[唐突に傷口に伸ばされた手に、咄嗟に逃れようとするけれど。彼の上であれば、そんな事が出来る筈も無く、小さく背を反らすだけになる。
伸ばした腕も無意味で、だらりと血を流す傷口が露になれば、険しく眉を寄せた。

やれと言われた事は、きちりとやった筈なのに。未だ何か不満だというのか。
何をしても許されないのであれば、もうどうでもいい。許しなど、一生乞うものか。言う通りになど、なってやるものか]


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