126 生贄と救済の果てに〜雨尽きぬ廃村・ノア〜
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― 森の奥 ―
[其処には、氷蜥蜴の姿をした彼がいた。
長い舌で下級の魔物を捕らえ、喰らっている。
―自分の魂を取り込み損ねたからか。
乾きはまだ収まっていそうにない。
そしてそんな魔物の姿を目にして、ヴェラは件の魔物が目の前の存在と認識したらしい。
―あぁ、僅かな時間さえも稼げなかった。
自分は全然上手くやれなかったのだ。
満身創痍のヴェラは、やはり迷わずに魔物に立ち向かおうと。
―あぁ、自分の想像した最悪の事態だ。
魔法使いの右手に宿された自分には何も為せず、行く末を見守るのみ。*]
―…。
[三人一緒か、と。
ヴェラが森の奥へと向かう道すがら、耳に届いた彼の声。
ヴェラの右手には、当然、自分が糧として取り込んだヴェスパタインの魂も取りこまれている。
―彼は今、何を思っているのか。
確かに感じるその存在に触れるのは怖くて…自分は目を背けていた。]
[そして、あれ程言葉を交わしたいと願った魂の存在を同じ右手の中に感じていても。
ヴェスパタインと同じく、まだ向き合えそうにない。*]
[感情を不要だと彼女が思うのは。
彼女が抱いた躊躇いと迷いと
喪失感の所為だ。
感情がなければ、其れを感じることは
二度とないはずだと。
彼女はそう思っていたのだから。]
[昔話には、続きがある。
そう、彼女の左目が光を失ってからの話。]
[彼女は代償によって、見える世界が狭くなった。
相棒は、彼女の目となることを望んだ。
音で状況を見ることに、彼女が馴れるまでの間
彼女を助けた。
尤も、彼女は必要以上に相棒を頼ることはなかったが。
彼女の努力によって、彼女は目を取り戻す。
音という、新たな目だ。]
[初めは簡単な要請からこなして行った。
そして、段々と元のような要請を
相棒と二人でこなすようになる。
そして。
――あの日も、雨が降っていた。]
[その要請を受けた日。
この村の雨とは違う、通常の雨が降っていた。
雨音が彼女にとって問題になることはない。
初めは、問題なく攻撃を仕掛けていた。
彼女が遠距離から狙い、相棒が切り掛かる。
丁度、ホレーショーと共闘した時と同じだ。
二人は、問題なく倒せると思っていた。
追い詰められた魔物が、攻撃パターンを変えるまでは。]
[突然の咆哮。
音の攻撃。
その衝撃波で、彼女と相棒は吹き飛んだ。
素早く体制を整えた相棒が、見た物は。
彼女へと飛ぶ、魔物と
音の攻撃によって、『見えなく』なった彼女の姿。]
[相棒は、雷の姿となり
魔物と彼女の間へと飛び込んだ。
彼女が受けるはずだった攻撃が直撃し、
相棒は致命傷を負った。
己の所為で彼女が代償を負い
その為に危ない目に合うなど、
相棒には耐えられなかったのだ。
それ以前に、彼女の為ならば死も厭わなかった。
魔法使いである前に、相棒、だったから。]
[しかし、彼女は再び相棒を救済しようとした。
相棒は最期の力を振り絞り、叫んだ。
生贄にしろ
と。
彼女が再び救済をすれば
また代償によって何を失うのか分からなかったからだ。
その叫びに、彼女は涙を零した。
綺麗な、涙だった。
そして。
彼女は相棒を『生贄』にし
強力な生贄魔法をもって魔物を倒した。]
[相棒の肉体は消え去った。
残されたローブを抱き締め、彼女は泣いた。
相棒の名を、叫びながら。
雨に濡れた彼女の髪が、
乱れていたことを私は今でも覚えている。]
[彼女の、相棒の名はセシル。
――……私の、名だ。]
[それから彼女は、残された私のローブを羽織り
何事もなかったように、魔法使いを続けた。
あれから何年が経ったか。
私は彼女の右腕の中で、彼女を見守っていた。]
[――……妙に、昔のことを思い出す。
彼女の魂がその體から離れ
私も、彼女の右腕から離れたからだろうか。
彼女の魂は既にヴェラの右腕に宿っているのだろう。
ならば、私も其処へ行くのだ。
私がまだ其処に居なかったのは、
彼女への執着のようなっものだ。
しかし、彼女の身体が霧散した今、
私も其処へ行く。
それは魔法使いの理だからではなく。]
[彼女がイアンの攻撃を受け、
魔法使いの生贄になることを願った理由。
それは――彼女自身が語るはずだ。
彼女の言葉で。
代わりに、私は少し眠ることにしよう。
彼女の魂の傍で。*]
[―何やってんだよ。
下級の魔物なんか放っておけばいい。
あんたは一人なのに。
ホレーショーが戦闘中に、自分達の躯に群がろうとする魔物を追い払っているのに気付く。
目の前の戦いに集中しろとも、ヴェラを逃がしてやれとも、自分は言えなかった。]
あ…っ…。
[ホレーショーの鉤爪はヴェラの足に食い込んでしかと捉え、彼の身体を地面に叩きつける。
直接触れる事で魔物の纏う冷気は、人の姿のヴェラに伝わっているだろう。
感覚は繋がっていないから、それがどれ程のものかは分からないが。
やがて氷纏う尾がヴェラに振り下ろされ、突き出した左手で防ぎきれずに彼の胸に至れば。
既に肉体を失って感じない筈の胸の痛みに顔を歪めた。]
―当たり前だろ。
俺はずっとあの人達の背を追いかけてたんだから。
[応じる言葉は、少しだけ誇らしげに。
ホレーショーとヴェラの消耗の差は激しい。
けれど傷ついた彼にもうやめろとも望めない。
―例えこの声が聞こえたとしても聞かないだろう。それは彼の矜持に関わる事だから。
ヴェラは、かつて自分を片腕と呼んでくれた男は、気高く強い。
どれ程傷ついても闘志を失わないその姿は、自分が追おうと決めた背から少しも変わっていなかった。]
……。
[―けれど、それが今は胸の痛みを増す。**]
[―早く消えてしまえ。
未だ地面に横たわった自分の躯を見つめる。
それで魔物の意識が逸れなくなればいい、と思いながら。
ツェツィーリヤの肉体が霧散し、風に舞うローブ。
それと同時に、場は動く。
供物である毛皮を手放し、前のめりに倒れ込んだヴェラ。
無言で彼に近付いていくホレーショー。
―魔物の鉤爪が、ヴェラへと向かう。]
―…っ。
[その結末を知りたくない、とでもいうようにイアンの躯は崩れる。
魔に落ちた所為か、うっすらと紅に染まった砂は風に煽られ霧散した。
其処に「死神の指先」と「鉤爪の破片」、ペンダントを残して。**]
― ―
[ツェツィーリヤは其処にいた。
彼女が覚えているのは、
魔物と化したイアンの武器を受けたこと。
其れから先は、千切れたように曖昧だ。]
……嗚呼。
私は……。
[千切れたような記憶を手繰り寄せ
ツェツィーリヤは、ヴェラの右腕に居ると知る。
傍にいる気配を探ろうとすれば、
其処に感じる気配は、イアンの物。
イアンもまた、同じように生贄にされたのだと知れば
彼女の魂は悲しげに揺れる。]
―ヴェラさん…っ?
[地に伏したヴェラが、右手を氷を纏う蜥蜴に向ける。
自己を生贄とした術は知識としては知っているが、使用したことも目にした事もない。
だから右手に向けられた彼の声が、何を意図してのものであるかは分からず。
けれどそれまで静かだったツェツィーリヤの声が聞こえれば、其方に意識は映った。]
…ツェツィーリヤさん。
[途方もない願いの為に、ヴェスパタインと同じく、自分が瀕死に追いやった魂。
名前を紡いだだけで、それ以上は何も言えない。]
…っ。
何してんだよ、ホレーショーさん…!
[彼の心中が分からない故に、コリーンの乱入が予想外だったのか、という考えに至った。
彼らを置いて走り去るホレーショーに、声を投げかける。]
[ツェツィーリヤはその名を呼ばれ、微笑む。]
……貴方も、此方にいらしたのですね。
[それは、感情を隠すことを止めた彼女の
何処か寂しげな笑み。]
……うん。
[ツェツィーリヤは微笑んでいる。
けれど、それは自分が何度か目にしたそれとは違い、何処か寂しそうだと感じた。]
……。
…ごめんな、さい。
[震える声でやっと紡いだのは、謝罪の言葉。]
[生と死の狭間を漂っていた時に聞こえていた魔物の声は、
今もまだツェツィーリヤに聞こえている。
それは、魔法使いの右腕が
魔物に近いものであるからなのだろうか。
或いは、他に理由があるのかもしれない。
聞こえた氷蜥蜴の声に
何処か言い訳のような響きを感じていた。]
[短い沈黙の後にイアンが紡いだ声は震えていて。]
……何を、
謝るのでしょうか?
[返す言葉は、あの時と同じ言葉。]
[返される言葉は、生前の彼女が言ったのと同じものだった。]
…だって。
貴女を倒して、生贄にしようとしたでしょう。
[自分の足音を聞きつけて後を追ってきた彼女を、魂を取り込もうと狙った。
もし彼女があの時自分を追わなかったら。
ヴェスパタインの血を服に付けていた彼女に、嫌疑がかかっていたかもしれないけれど。}
私は、魔法使いです。
魔物を討伐することが任務です。
その際殺されることも覚悟していました。
対して、あの時の貴方は魔物でした。
魔物が魔法使いを殺そうとするのは、自然でしょう。
[ツェツィーリヤは、淡々と事実を告げる。
イアンが魔物ではないと知らなかった時。
ツェツィーリヤ自身を魔物と思って
攻撃しようとしていたとも思っていた。
どちらにせよ、其れは自然な行動だったと。]
…っ…。
ヴェラさん…っ。
[宿主の異変は右手にも伝わってくる。
彼の傷ついた身体が限界に近い事は分かっていた。
ツェツィーリヤの身を生贄にした魔法がなければ、或いは自分が手を下していたかもしれないけれど。
今まさに、途切れそうになっている命を想い、顔を歪める。]
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