301 十一月うさぎのないしょ話
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[うん、うん、と。
並べられる「行儀のいい客」の条件を聞いては、一つずつ同意を示すように頷く。
全部食べる人、ドリンクを頼む人、美味しいって言ってくれる人。
そう、宅本さんは、そんなすてきなお客様。]
宅本さんは、いつだって、また来てほしいお客様でしたよ。
オットーみたいにサンドイッチ作ろうかな、って時々思ってました。
[そう思うよりずっと早く、毎日のように見かけるお客様になっていたけど。
そんなにこの店を好いてくれて、店の味を好いてくれて、サンドイッチを作る乙坂が羨ましかったくらいに。]
[首筋や旋毛を褒められたのは、はじめてだ。
ついグラスを支えていた手が、首筋に伸びる。]
ふら、ちな、軽口……
[これでも不埒の意味くらいはわかる。
その軽口を叩く相手をどう見ているかも、わかる。
きっとそれこそ、「行儀のよくない」お客様にそんなことを言われていたら、背筋が震えるほどに怯えていた、かもしれない。
でも、今は?]
[すぐに答えなくても、と言ってくれた。
けれど、答えたほうがいいのだろう、と染み付いたお人好しが頭の中で叫んでる。
意識して、考える。
検討する。このひとは、わたしのことが。
例えば、これが本当に知らない人なら。
考えられません、と一蹴した。
例えば、同僚の誰かなら。
驚いて、それから何度も理由を聞いて。
けど、断ったら店に居づらくなるかも、と思ったら悩んでしまうだろう。
じゃあ、今は?
宅本さんは?]
[はじめて会った時、道に迷っていた。
あの時、宇津木でも重いと言った荷物をさらっと持ってくれた。
紳士でないなんて言うけど、きっとそんなことないんだと思う。
話し言葉がおもしろくて、興味が湧いた。
親近感があった。
作ったものを、おいしいと言ってくれた。
好きなプリンに、名前をくれた。
内緒話をしてくれた。
作ったものを、もう一度と言ってくれた。
名前を、考えてくれると言っていた。
どこからわたしを想われてのことなのか、わからない。
でも。]
あの……ええと。何か、変かもしれないですけど。
いやじゃ、ないです。
[思い出が、たくさんある。]
あ……なんて言うんでしたっけこういうの。
おともだちからお願いします?
……でも、もうおともだちみたいなものかな……
[最後は独り言じみて、ぽつぽつと。
この関係をなんと言おうか。知り合いも、常連も超えた、これから育む、この関係を*]
戸崎さんもサンドイッチを?
それならフライドポテトも付けてほしいです。
[店外だからリクエストにはならない、だからこれは浮かれた我儘だ。
己の誘いに乗ってくれたこと、夜半に二人で会ってくれたこと、己の想いを邪険にしないこと。どの時点で拒絶されても可笑しくないのに、彼女はずっと己を舞い上がらせてくれるから。
今の我が身は、我が心は、きっと30cmほど浮いている。]
取って食べたりしませんよ。
ああ、いえ。意識して頂けるのは嬉しいので、手は、そのまま。
[首筋を押さえる指先に笑みを噛んでも、図々しい男は彼女に安寧を齎さない。不躾なまでに彼女を見つめ、グラスを傾ける。
不意に卓に降りた沈黙も、不安を駆り立てるものではなく、寧ろ、途絶えた音に安堵した。なにせ彼女は見るからに懸命に頭を回してくれている。]
……考えてください、って言った端から、こんなに真剣に考えてくださる。
こういうところ。
ますます好きになっちゃうんですよねぇ。
[ゆっくりと椅子に座り直しながら紡ぐ独り言。
首肯をうんうんと繰り返し、懊悩する彼女には聞こえないくらいの声量で。]
いいえ、変じゃないです。
僕は嬉しいです。
[彼女が再び言葉を発するまでの間にグラスは空いて、いつしか男は頬杖を突いていた。無論、瞬きの回数を減らして見入っていたのは彼女の表情。]
関係性に名前を付けなくても、大丈夫ですよ。
料理に名前が欲しいなぁと思うのは、もう一度頼みたいからですが ―――…、
[彼女に選ばれたくはあるが、それは妥協や打算であって欲しくない。うさぎの穴へと通ってすっかり舌は肥えてしまった。]
名前が無くても、僕は貴女が好きです。
でも、好かれる覚悟はしておいてくださいね。
[最後は少しだけ挑発的に。
店で口説くような真似はしないけれど、想うだけは自由自在。
―――― “美味しい”と“好き”で育てる想いというのも、中々贅沢だ。]*
フライドポテト。
つくります。
この間、ウッチーにもオットーにも評判だったんですよ。
[答えやすい話題になって、ぱっと顔が上がる。
トスカーナポテトをまた作ろう。自分で食べるためだけでなく、食べてもらうために。
それもまたすぐ、"考える"ために俯き気味になるのだけれど。]
[そして、考えて、思い出して、紡いだ答えは変ではないらしかった。
ほっと、息を吐く。
少し笑えた。]
んん……えと、じゃあ、名前のない関係、で。
変わることはあっても、同じには戻れないですもんね。
[料理の名前は、繰り返すためのもの。
変わりゆくその瞬間だけのものには名前がなくてもいいと、ずっとそう言ってきた自分が名前にこだわるなんて、おかしい話。]
好かれる覚悟、って、どういうことしたらいいんでしょう……?
ううん……
[けど、関係性に名前はなくなったのに、新しい悩みが増えるのは、予想外。]
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